エーリッヒ・フロムの『愛するということ』(鈴木晶訳・紀伊國屋書店)という本は、私が原点に立ち返る時、いつも再読する本です。
エーリッヒ・フロムはこんなことを言っています。
「愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに『落ちる』ものではなく、『みずから踏みこむ』ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。」(前掲書)
では、フロムがここで言う「与えること」とはどういうことでしょうか。
「しかし、与えるという行為のもっとも重要な部分は、物質の世界ではなく、ひときわ人間的な領域にある。では、ここでは人は他人に、物質ではなく何を与えるのだろうか。自分自身を、自分のいちばん大切なものを、自分の生命を、与えるのだ。これは別に、他人のために自分の生命を犠牲にするという意味ではない。そうではなくて、自分のなかに息づいているものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。」(前掲書)
フロムの言葉はとても美しい言葉であり、私の内部を揺さぶってきますね。私は障がい者グループホームを運営するにあたって、フロムの言葉を大切にしています。フロムはさらにこう言っています。
「与えるということは、他人を与える者にするということであり、たがいに相手のなかに芽ばえさせたものから得る喜びを分かちあうのである。与えるという行為のなかで何かが生まれ、与えた者も与えられた者も、たがいのために生命に感謝するのだ」(前掲書)
何度読み返しても、心を打つフレーズです。
フロムは、愛の能動的性質を示しているのは、「与える」という要素だけではないと言います。
その要素とは、配慮、責任、尊敬、知、です。
配慮とは、子どもにたいする母親の愛のこと、つまり、「愛とは、愛する生命と成長を積極的に気にかけること」だとします。この積極的な配慮のないところに愛は存在しない、と。
フロムは、配慮と気づかいには愛のもう一つの側面も含まれていると言い、それは「責任」です。本当の意味での「責任」とは「義務」という意味合いではなく、「他人の要求に応じられる、応じる用意がある」という意味です。「責任」は英語で「resposibility」と書きます。つまり、応答する責任のことですね。
第3の要素は、「尊敬」です。「尊敬とは、その語源(respicere=見る)からもわかるように、人間のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力」のことであるとフロムは言います。「尊敬とは、その人らしく成長発展してゆくように気づかうこと」です。
フロムは、「人を尊敬するには、その人のことを知らなければならない」と言います。そこで、第4の要素として「知」をあげています。「自分自身にたいする関心を超越して、相手の立場にたってその人を見ることができたときはじめて、その人を知ることができる」とフロムは書いています。
フロムの『愛するということ』は、すでに50回以上も読み直していますが、私にとって、いまだ新しく、原点に立ち返る時に必要な本です。
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