「障がい者就労支援の実際」をテーマに
2015年12月14日・21日(月)、淑徳大学にて「障がい者就労支援の実際」というテーマでお話をさせていただきました。淑徳大学・非常勤講師の嘉山隆司先生の授業にゲストティーチャーとして招かれるのは、2年前以来のことです。前回は「生活困窮者の就労支援」について現場の立場から講義をさせていただき、非常に勉強になったことを覚えていますので、ワクワクしながら講義に臨みました。以下にその内容について書き記しますが、今回は21日の講義内容に限定して整理したいと思っています。
福祉こそが障がい者の可能性を奪っている?
2日目の講義内容は「障がい者における多様な働き方」に焦点化させ、現場の現状と課題についてかなり踏み込んだ問題提起をさせていただきました。
講義の冒頭に「福祉こそ障がい者の可能性を奪っているのではないか。そんな怒りを感じるようになりました」(ワークスみらい高知・代表)という挑発的な言葉からはじめ、その言葉の意味することを学生と真摯に考えていければと思いました。
特例子会社ハートフルコープとくしま・エコミラ江東の紹介
障がい者就労支援の実施体制では「特例子会社」について説明し、「特例子会社・ハートフルコープとくしま」の様子をユーチューブで観ました。特例子会社は比較的に障がい者の方々が多く働いていること、障がい当事者の特性に合った業務の切り出しがあること、安心して働き続けられる要素があること、特例子会社に執着しないで一般企業への就職もめざせること、など、働く障がい当事者にとっての利点を整理することに努めました。
次に、NPO法人地球船クラブ・エコミラ江東の現場を紹介しました。従業員は16名、そのうち知的障がい者は14名の一般企業。江東区が「発砲スチロールリサイクル事業」をパックアップし、1億円の機械を導入。しかも、なんと「14万円」という革命的な給料を支払っており、障がい当事者の中に生活保護受給者はいません。後述しますが、労働の場で障がい者は「福祉政策」に落とし込められているのが現状で、エコミラ江東のように生活保障を実現することに挑戦する職場は稀だと言ってもよいと思います。
就労継続支援B型事業・工賃問題
次に、全国の就労継続支援B型事業所の月額平均工賃が「約1万3千円」であることをグラフや表で明らかにし、就労継続B型事業所での「工賃の低さ」について説明。その後、講義の冒頭の言葉「福祉こそ障がい者の可能性を奪っている」という言葉に立ち返り、その言葉が意味するところを、ハートネットTVの映像を通して、学生たちと共に考えていきました。
NPO法人ワークスみらい高知の代表・竹村利通さんは、かつて社会福祉協議会の職員として働いていましたが、そこでは「障がい者の仕事は単純作業ばかり、わずかな賃金しかもらえず、働く意欲を失っていく人たち。福祉こそが障がい者の可能性を奪っているのではないか」と怒りを感じるようになったと言います。
「障害のある人は社会的弱者で、保護して差し上げる存在であって、きれいこどでは『ノーノライゼーション』とか『共生』とか言っているけど、かわいそうな人へ『愛の手路線』は変わらずのままで、働く支援はしているように『共に生きる』『共に働く』とは言っているけれど、実際に手にするお金っていうのは千円だったり1万円だったりする。それに周りの人も当事者も仕方がないんだと思っていること自体が僕にとって一番許せなかったことでした」
竹村さんは職場を退職し、パン屋を経営。障がいのある人もない人も同じ給料を払う職場をつくるものの、働く人に給料を払えず、3000万円の赤字で、経営は2年で破たん。ビジネスに対する意識の甘さを反省し、NPO法人を立ち上げ、「福祉事業所」を運営。「品質とサービス」を高めことを徹底し、事業を見直して再出発。従来の福祉事業所の店舗を変える事業づくりで、現在は年商5億円。事業所は7ヶ所に拡大、障がい者の雇用を100人生み出しています。この事例から何かを学んでいけるのではないか、「福祉」という考え方をあらためて問い直すきっかけとなればと思って、学生たちに語り掛けていきました。
ねっこ共働作業所・わっぱの会の挑戦
講義の最後は、1970年代初頭から「共に生きる、共に働く」ことを追求してき「ねっこ共働作業所」と「わっぱの会」を紹介。
ねっこ共働作業所は「障がい者は処遇の対象、療育の対象、なんとかしてもらう対象、障がいのない職員集団が障がい者の世話をしてあげるといった、対立的な関係をなくしていきたいという思いから設立した」と白杉滋朗さんは言っています。
ねっこ共働作業所は滋賀県で印刷業を営んでいますが、設立してから10年間は地域の中で仕事をして自分たちの生活をしていくことで精いっぱいだったと言います。公の補助金が何もない中で活動を続けるため、経営もうまくいかなかったそうです。そんな中、1978年から共同作業所(小規模作業所)に対する補助金制度がはじまります。「障がい者のお世話をするために補助金を出すという考え方」であったため、補助金をもらいたくなかったと言います。しかし経営が成り立たなくなるため、気持ち悪い気持ちを抱えながら補助金をもらって事業を進めていきます。
その後、ねっこ共働作業所は少しずつ生産性が上がっていき、1985年で最低額月5~6万円、多い人で12~13万円の給料を払えるようになり、ほぼ全員が当時の最低賃金をクリアします。雇用関係を結べるようになったのです。現在はベース分配金(賃金)11~12万円を保障。そのうえで、生活実態に合わせて世帯手当6万円や扶養手当(子ども2万円/月、20歳以上5万円/月)、その他調整手当4万円などを分配できるようになったそうです。30人近くの方々が月額11~30万円ほどの収入の幅の中で暮らしています(ほぼ全員別途障害基礎年金を受給)。
ねっこ共働作業所の挑戦は、社会的事業所のあり方を追求するうえで、非常に勉強になります。
社会的事業所への挑戦といえば、名古屋市にある「わっぱの会」を忘れることができません。わっぱの会は齋藤縣三さんが1971年に設立。障がい者1人、健常者2人が名古屋市昭和区の一軒家で共同生活を開始。
「共同生活をするにはお金が必要です。障害者年金も行政の補助金もない時代ですから。昼間、皆で働けることをやらなければいけない。障がい者に仕事がないという差別、街の中で差別されるということとは違った差別の中にあると、あらためて感じました。どんな障がいのある人でも働ける、そういう場を一緒につくろうということが始まりました」
「わっぱの会の特色は『共に生きる、共に働く』ということにこだわり続けました」
作業所や授産所は職員と障がい者がはっきり区別されており、健常者である職員は訓練する人・指導する人、障がい者は訓練生・授産生という生徒。最近では利用者と呼びます。ここは労働契約もなく、工賃は1万2千・3千円、これで働いており、こうした働きを、一般就労と区別して、福祉的就労と呼びます。
わっばの会の挑戦は、そうした問題点を克服する挑戦でした。わっぱの会の挑戦とは、障がいの有無を超え、上司と同僚の関係ではなく、血縁的な家族でもない、共に働き、生活する仲間つくりを追求したこと、分配金制度という相互扶助の賃金体系をとったことです。どんな重い障がいがある人も相応の仕事をすることで、誰もが最低限の自立生活を保障され、分配金を受け取ることができるようになっています。
最後に、まとめとして「障がい者の生活保障を実現し、経済的な不安を解消していくとともに、自分が働いていることそれ自体が社会に貢献していくことに誇りを持てるかが大切です」と語って、私の講義を終了しました。
東洋大学の講演と同様、淑徳大学の学生たちは、障がい者就労支援の実際についての講義を真剣に聞いてくださり、一人ひとりが自分の問題として考えてくださった感想ばかりでした。
あらためて学生に感謝申し上げます。