高橋源一郎さんと辻信一さんの対談『弱さの思想』という本があります。2人は明治学院大学国際学部で勤務され、2010年~2013年にかけて共同で「弱さの研究」を行いました。非常に興味深いことが語られていますので、以下に紹介します。
小説家でもある高橋源一郎さんは「研究目的と意義」についてこう書いています。非常に大切なことが書かれているので、長いですが援用します。
「社会的弱者と呼ばれる存在がある。たとえば、『精神障害者』、『身体障害者』、介護を必要とする老人、難病にかかっている人、等々である。あるいは、財産や身寄りのない老人、寡婦、母子家庭の親子も、多くは、その範疇に入るかもしれない。自立して生きることができない、という点なら、子どもはすべてそうであるし、『老い』てゆく人びともすべて『弱者』にカウントされるだろう。さまざまな『差別』に悩む人びと、国籍の問題で悩まなければならない人びと、移民や海外からの出稼ぎ、といった社会の構造によって作りだされた『弱者』も存在する。それら、あらゆる『弱者』に共通するのは、社会が、その『弱者』という存在を、厄介なものであると考えていることだ。そして、社会は、彼ら『弱者』を目障りであって、できることならば、消してしまいたいなあ、そうでなければ、隠蔽するべきだと考えるのである。
だが、ほんとうに、そうだろうか。『弱者』は、社会にとって、不必要な、毒害なのだろうか。彼らの『弱さ』は、実は、この社会にとって、なくてはならないものなのではないだろうか(かつて老人たちは、豊かな『智慧』の持ち主として、所属する共同体から敬愛されていた。それは、決して遠い過去の話ではない。)
効率的な社会、均質な社会、『弱さ』を排除し、『強さ』と『競争』を至上原理とする社会は、本質的な脆さを抱えている。精密な機械には、実際には必要のない『可動部分』、いわゆる『遊び』がある。『遊び』の部分があるからこそ、機械は、突発的な、予想もしえない変化に対処しうるのだ。社会的『弱者』、彼らの持つ『弱さ』の中に、効率主義ではない、新しい社会の可能性を探ってみたい。」
高橋源一郎さんが「弱さ」について考えるようになったのは、当時2歳だった次男が「風をひいて熱が下がら」ず、「明け方、具合が悪くな」り、「ひどい障がいが残る」かもしれないという状況になったことがきっかけだといいます。その時、「重度の障がいが残った子をかかえてどうやって生きていくか」と思い悩んだそうです。障がいは残っているそうですが、次男は奇跡的に回復したのですが、高橋さんははじめて自分の「弱さ」に気がつきます。
高橋さんは次男が回復のプロセスに入ってふとまわりを見ると、そこには重度の病気の子どもばかりがいて、「しょっちゅう子どもたちが亡くなった」けれど、そこにいた母親がみんな元気だった、というのです。高橋さんは「重度の病気の子どもをかかえて、なんであんなに朗らかなんだろう」と不思議に思います。
「単刀直入にこう聞いてみました。『ここにいるお母さんたちはみんな明るいですよね、なんででしょうね』って。すると、お母さんは答えてくれました。『明るくしていきなきゃやってられない、ということもあると思います。それから、自分の子どもといっしょにいて、子どもと何かをするっていうことがうれしい。子どもがいるから明るくなるんじゃないかしら』と。つまり、自分の子どもといるってことで、すごく元気になるんだというんです。」
「不幸とかネガティブなことがあると、人は力を失うけれども、ある極点を越えると、どうも『ギフト』と呼ぶしかないものが来るらしい。」
「我々がやっていることの大半は、仕事でもなんでも、自分でなくてもできること、つまり代替可能なことばかりでしょ? でも病んだ子どもの世話をする親がするっていうのは、変わりようがないこと。言ってみれば神さまから指名を受けたようなものなんです。ぼくは
無神論者だけども、自分にしかできない仕事が与えられた、って感じた。だって動けなくなった子どもを支えていくのは、ぼくしかいないでしょ? 『自分しかできないことがあった』という気づきが大きいのかもしれない。ぼくは『弱さ』の研究を始めた時に、そういう自分のかけがえのなさみたいなものを知る機会になるんじゃないのかな、と感じたんですね」
高橋さんは子どもに「弱さ」という課題を与えられたというのです。
高橋さんの言葉に非常に深い意味を感じました。
私は障がい当事者の方々にどのような課題を与えられ、学ばせていただき、成長させていただけるのでしょうか。これからとても楽しみです。