非正規労働者の増加
「年越し派遣村」は、2008年12月31日から2009年1月5日、派遣切りされて住居を失った労働者らに年末年始の食事と寝泊りができる場所を提供しようと、労働組合、反貧困ネットワーク、NPO法人自立生活サポートセンターもやいなどの20の支援団体が東京の日比谷公園に開設しました。 最終的に派遣村に入村された方は505名。1月2日には厚生労働省が省内の講堂を緊急開放し、生活保護の相談などにも応じました。
そもそもなぜこうした「事態」が起きたのだろうか。稲葉剛さんは『貧困のリアル』(飛鳥新社)の中でふれています。簡単に整理したいと思います。
1990年代のバブルが崩壊し、企業はリストラやコストカットを急激に推し進めた。企業にとって負担であったのが人件費、それに福利厚生費や社会保険料などの経費がかかります。そこで、正社員を非正規社員に置き換えはじめたのです。企業のこうした動きを政府も後押しし、1999年と2004年の2回にわたる労働派遣法の改正。とりわけ、2004年は「製造業への派遣労働の解禁」を行いました。ライン作業のような工場での労働に派遣が認められ、派遣労働者は企業にとって都合のいい使い捨ての労働力になったのです。日雇い派遣業者も台頭して非正規雇用の労働単位は数か月単位から、一日単位へと、どんどん細切れになっていき、労働者はますます不安定な立場に追いやられました。その結果、労働者の3割以上、1,700万人が非正規労働者という状況になったのです。
生田武志さんは「いす取りゲームの比喩」という表現で以下のように説明します。いす(正社員)を取れるかどうかは「個人の努力の問題」ではなくて、いすの数と人間の数の問題、つまり「構造的な問題」なのです。構造的な問題が変化しないかぎり、「正社員のいすの取り合い」はいっこうに変わりません。
ネットカフェ難民・ハウジングプア・脱法ハウス
正規労働者は雇用保険に加入しているため、失業した後の所得がある程度保障されていますが、非正規労働者はそうではありません。
稲葉剛さんは、①非正規労働者は雇用保険すら加入していないため、失業したときのセーフティネットがそもそもない、②失業とホームレスが隣り合わせになってしまう、③製造業で寮住まいをしながら派遣労働に従事している人たちを「派遣切り」によって、仕事と住居を一気に失って路上生活者に陥るという事態が起こったと言います。不安定な非正規労働者はアパートの初期費用や保証人を用意できないためにネットカフェなどに宿泊せざるを得ません。こうした不安定な労働環境によって多くの「ネットカフェ難民」が出現しました。
さらに、稲葉さんは『ハウジングプア』(山吹書店)の中で、貧困ゆえに居住権を侵害されやすい環境で起居せざるをえない状態を「ハウジングプア」と定義し、ネットカフェ難民等のような「屋根はあるが、家がない状態」=ハウスレス状態は、「ワーキングプア化とハウジングプア化が絡み合って進行した後、暮らしは路上生活に限りなく近づく」と言います。
現在、住まいの貧困状況は改善に向かうばかりか、貧困ビジネス化するゲストハウスやシェアハウスの居住問題など、新たな事態が進行しています。しかし、それは「住居喪失不安定就労者」の住まいのあり方が「ネットカフェ難民」から「脱法ハウス」へ移行したにすぎません。
「脱法ハウス」は狭い部屋が多数並ぶ構造で、自動火災報知設備等がなく、危険な施設です。通常のアパートに入居する場合に結ばれる賃貸借契約ではなく、それぞれ独自の名称の契約(施設利用契約等)を結んでいることが多いと言います。①住居を構える初期費用を貯められない、②何らかの事情から保証人がいない、③仕事をしているために自分が不安定な住居で生活していることを会社に知られたくない、④相談できる人がいない、⑤(離職者でないため)住宅支援給付制度、生活保護制度などの公的な支援が受けられない、など、通常のアパートに入居できない人々が料金の安さ、手続きの簡便さなどを理由にやむを得ず、不安定な居住場所として「脱法ハウス」を利用します。しかし、その結果、不安定雇用・不安定住居という悪しきスパイラルから抜け出すことができなくなっていくのです。
生田武志さんは『フリーターズフリー・3号』の中で、「『派遣切り』が典型であるように、貧困問題の直接要因である雇用の『流動化・有期化・低賃金化』をまともな労働(ディーセントワークと言われる)に転換する試みはほとんど進展しなかった」と言っていますが、わが国の構造的な問題まで変化させることができなかったのは、「雇用」問題に大きな変革を行えなかったことが理由として挙げられるでしょう。