「人間はちっぽけな存在だ。
流れ星のように、誰かに気づかれることなく生きて消えていく。
ぬくもりを一瞬だけ残して。」
文章の最後をこうして締めくくのは、毎日新聞論説委員・野沢和弘さんの「満月の夜に」です。
短い文章なのですが、とても切なく、心に残る文章でしたので、以下に紹介します。
「おうちに帰りたい、お母さんと暮らしたい」
そう願ってやまない軽度の知的障がいを持つ男性。
この男性は、数年前に梅干しの万引きをした罪で刑務所に収監されました。生活保護を受給していたそうですが、お金が底を突きそうになり、「このままでは生活ができなくなる」と思って梅干しに手を出したそうです。
野沢さんによれば、この10年、日本の凶悪犯罪の数は半減しているにもかかわらず、刑務所に収容されている受刑者は減らず、万引き、無銭飲食、放置自転車盗などの「微罪」を犯した軽度の知的障がい者や認知症の人たちが多いと言います。
野沢さんは取材を進めていくうちに、「被害者にとっては『微罪』であっても許せない思いはあるだろうが、こうした人々に必要なのは刑罰なのだろうか」という疑問を付しています。
以前に山本譲司さんの『累犯障害者』でも同じ疑問を投げかけていました。
野沢さんはこう言っています。
「彼らの必要なのは刑罰なのだろうか。地域で安心して生活できる福祉サービスや家族・近隣との支え合いのようなものではないのだろうか。そうした発想から制度化されたのが、地域生活定着支援センターである。罪を犯した障害者や高齢者の出所後の生活を支援し再犯を防ぐために、全都道府県に設置された。」
出所した障がい者が再び罪を犯さないように、入所施設やグループホームに一時入るケースも多いと言います。
「福祉施設も触法障害者を引き受けるようになった。補助金に加算が付くからでもある。おかしなものだ。窃盗や詐欺を何度もはたらいては刑務所とシャバを行き来する『累犯障害者』のことは以前から問題になっていたが、この制度ができる前には障害者施設は彼らを受け入れようとはしなかった。罪を犯した障害者を福祉から排除していたのである。」
触法障がい者が「刑務所とシャバを行き来する」のは、出所後の居場所や社会参加の機会がないからです。つまり、安定した住まいと安心して働き続けられる就労の場が確保されていないため、「行き来」せざるを得ないのです。
その意味において言えば、触法障がい者の人たちは、福祉・労働の場から排除され、生きづらさ・働きにくさを抱えたまま、「微罪」を繰り返すしかないのです。
ここで重要なことは、住まいだけがあっても、あるいは働く場だけがあってもダメなのです。「住まいと就労」を込みで考えていく支援のあり方が問われています。もちろん、ここで言う働く場には、当事者の方が出番を感じられるかが大切です。
福祉の世界では、いまだどちらか一方の支援でしかないような気がしています。
野沢さんの文章で紹介されている軽度の知的障がい者の方の願いは、「おうちに帰りたい、お母さんと暮らしたい」でした。
男性のふるさとの市役所から福祉職員たちが母親の住む家を訪れます。ゴミ屋敷のような部屋に、母親はだれも入れようとはせず、反抗的な態度を崩さなかったと言います。
福祉職員たちはあきらめず通い続け、母親は心を開いてくれたようですが、その頃、体調を崩して入院されていたその男性は、息を引き取ってしまいます。出所予定の前日だったと言います。
「人間はちっぽけな存在だ。
流れ星のように、誰かに気づかれることなく生きて消えていく。
ぬくもりを一瞬だけ残して。」
とても切ない話ですね。
野沢さんの文章を読み、あらためて「触法障がい者の地域支援」の重要性を感じました。
(理事長 山田 育男)