かつてひきこもり状態にあった若者の支援をさせていただいていた際、どうしようもない本人の「生きづらさ」や「困難さ」と出会うことになりました。
ひきこもり状態にあった若者(20代の男性)は、遠方の実家を離れ、1人暮らしをしていました。しかし、本人の成長過程で、心理的な意味での「母親との決別」がされていないことが、彼の「苛立ち」を処理できなくさせていたのです。
人が親から離れ、1人で生きていくには心の中に「親」が宿っていなければなりません。それがあってはじめて1人で安心して暮らすことができると思うのですが、その男性は、そのプロセスを経ぬまま、「母親との決別」を宣言し、退路を立ってしまったのです。
したがって、彼の心は不安で、その「苛立ち」を職場にダイレクトにぶつけてしまい、職場を退職します。新たに就職をしても、同じことを繰り返すばかりでした。
彼には、もともと仕事以外での悩みがありました。その悩みがうまく処理できないのです。その悩みがネックになり、(保育の)職場の人たちや子どもに癇癪を起こしてしまうのです。
職場のスタッフに「こうしたほうがいいよ」とやさしくアドバイスを受けても、悩みがたまっている時は「そんなことを言われても知らない」と自分のイライラを相手に露骨に出してスタッフを怒らせてしまいました。いくらやさしい職場の人たちでも、何度も同じことが続くので、職場のスタッフは本人のことを不信に思ってしまうと言います。
癇癪を起こした後、本人は冷静に「自分が悪かった」と気がつきますが、「自分のしんどさ」できつくなり、反省できない自分がいるというのです。
新しい場所に慣れるのが難しく、緊張してしまったり仕事が出来なかったりすると、すぐに攻撃をされてしまうといいます。
幼い頃から、彼は母親と暮らしており、非常に仲が良かったと言います。20歳までは家に居場所があったのですが、それ以降は、心の拠り所がなくなってしまったというのです。そして、彼は、この「さみしさ」を処理できないでいるというのです。
自分の「さみしさ」を処理できないので、友人に「さみしさ」を押しつけてしまいます。最初は受け入れてくれますが、その後、引いてしまって相手にしてくれなくなってしまったといいます。
本人の「生きづらさ」は「母親との関係」から自立できていないところからきていました。本人は自立したいために、母親との断絶をはかっていたようでしたが、そうなりきれていないようだったのです。
本人が言うように、母親と精神的に断絶をしないかぎり、本人の苛立ちは続きます。しかし、頼る人が誰もいず、その「生きづらさ」を受け止めてくれる人がいないために、さらにその「苛立ち」を処理できないでいるのだと感じました。
彼にとって大切なことは、母親とは異なる存在からやさしさに包まれる環境、そして本人の「苛立ち」を言葉で伝え、聴き取ってもられる相手が必要でした。母親とは異なる存在からやさしさに包まれる関係を構築することで、一人で立てる自分をつくらなければならないのではないか、と。これができなければ、今後もまた職場でのトラブルは絶えず起こり、定着した職場を見つけることができないと思いました。
彼の願いが「母親との決別」であるにもかかわらず、精神的な意味で「母親との決別」が果たせずに苛立っていました。大切なことは「母親に代わる存在」が本人をやさしいまなざしで支えていくことだったのです
心の中に「母親」が宿っていない以上は、1人で暮らすばかりか、生きていくことすらできないでしょう。心の中に「親」が宿ってはじめて安心して1人で暮らして生きていくことができるのではないかと感じたケースでした。
この若者から私は多くのことを学び、考えさせられました。
親との愛着関係が希薄だった若者たちとの出会う機会が多くなるにつれ、私はいつも彼のことを思い出します。
理事長 山田 育男