2015年6月に発刊されたNPO法人ほっとプラス代表・藤田孝典さんの著書『下流老人』(朝日新書)は20万部を突破。「下流老人」という言葉は流行語大賞の候補にも挙げられ、話題を呼びました。2014年9月に放映されたNHKの『老人漂流社会』を含め、藤田さんの著書は「高齢者の貧困」の実態をあぶり出し、私たちに衝撃を与えました。
しかし、それ以前にも、「高齢者の貧困」の実態を報告した著作は2010年3月に発刊されています。結城康博・嘉山隆司編著『高齢者は暮らしていけない』(岩波書店)です。この著書は、藤田さんがあぶり出した実態を5年前に整理されています。その意味で、『下流老人』と同様に、多くの読者に関心を寄せていただきたい必読の書であると考えます。
もちろん、2010年と2015年の7年間の年月が経過しているため、マクロレベルのデータ・グラフ等の新しさは『下流老人』を参考にしていただきたいところですが、驚くべきことは、たったの7年間で「高齢者の貧困」がさらに深刻化しているという事実です。『高齢者は暮らしていけない』と『下流老人』の両方を読み比べてみると、より議論が深まってくると確信しています。
ちなみに、『Wedgeウェッジ』(2016年2月号)には「『下流老人』のウソ」という特集が組まれていますが、ここで取り上げている視点については『下流老人』と「『下流老人』のウソ」を比較し整理しながら、別の機会に論じたいと思っています。
「貧困」問題を論じるにあたって、「絶対的貧困」と「相対的貧困」の考え方があります。「絶対的貧困」は「最低生活費の問題が焦点」になり、「相対的貧困」は「一般国民の平均家計所得を基に、『貧困』問題を捉えていくと理解できる」と淑徳大学教授の結城康博さんはその2つの考え方を整理しつつ、「併せて『人間関係の関わり』『家族構成』『地域実態』などを踏まえなければ、本当の意味での『貧困』『格差』の実態は摑めないであろう」と言っています。その理由は、高齢者は「介護」と「医療」といったサービスを必要とするからだとします。
「高齢者は、現役世代と違い、心身が衰え積極的に本人自ら社会に働きかけることはできない。しかも、高齢者の主介護者は、配偶者もしくは『娘』『息子』『姑』などがあるが、親族もなく同居者がいない場合も多々見られる。」
湯浅誠さんの『反貧困』(岩波新書)を引くまでもなく、「貧困」とは「経済的な貧困」と「人間関係の貧困」のことを意味しています。結城さんは、「介護・医療サービス」の観点で「人間関係の貧困」に肉薄しているわけです。
新宿の福祉事務所で30年以上ケースワーカーをされ、生活保護業務に従事し、主にホームレスの相談・支援を担当してきた嘉山隆司さんは、本著の「高齢者の最後の砦は”生活保護”!?」の中で、2008年秋以降のリーマン・ショック不況で生活保護受給者が急増し、「派遣切り問題」「失業した人」「住居を失った人」等、保護世帯の類型に大きな変化が見られるようになったとしつつ、次のように書いています。
「また、少子化にともない高齢化が進む中、無年金・低年金の高齢者が増加していることも、生活保護受給者の数を増やしている要因の一つだ。特に、高齢者における『貧困』は拡大傾向にあり、それらに付随して『孤独死』『老老介護』『認認介護』などといった社会問題が深刻化している。」
嘉山さんは長年のケースワーカーの経験から、65歳以上の高齢者と言えば、かつては「高齢化した日雇い労働者」「アルコール依存症者」「借金等で家族から縁を切られた人」「社会生活になじめず逃避してきた人」などといった人々がホームレスになる傾向があったが、「最近、生活保護を開始したホームレスの約半数は、65歳以上の高齢者で、大部分が単身者」と書いています。つまり、「今は、平凡に暮らしてきた市民が、いつのまにかホームレスになってしまう時代である」と言うのです。嘉山さんの認識は、藤田さんの認識とも共通しており、『下流老人』が取り上げている方々は高齢単身者です。これは現場感覚の実感なのだと思います(ちなみに、藤田さんは『下流老人』の中で、「現役時の平均年収が400万円前後、つまりごく一般的な収入を得ていても、高齢期に相当な下流リスクが生じる」と言っています)。何も福祉事務所だけの実感ではなく、生活保護制度の一歩手前の第2のセーフティネットである住宅支援給付制度(当時は住宅手当制度)の窓口に来庁される高齢者の方々にも共通していましたから、実態はさらに深刻と言えるでしょう。