最近、私は『高野実著作集』を再読しています。高野実さんの著作では『日本の労働運動』(中央公論新書)がもっとも有名ですが、『高野実著作集第4巻』も読み応えのある著書です。
第4巻には『労働者のモラル』と『車座になって』が収録されており、この2つの著作は高野実践の神髄が描かれていると感じます。
どういうことからそう感じたのでしょうか。
それは、労働者一人ひとりの声に降りていき、丁寧に聴き取り、掬いあげるその姿勢のあり方だけではありません。会社で働く人だけで闘うのではなく、労働者の家族(ここでは主婦あるいは女性)の声こそとても大切にされています。
また、労働者の悩みは人それぞれなのだとし、その人の生活文化や立場などよって悩みは異なり(労働者一人ひとりの多様性を捉えています)、悩みをひとくくりにしないで、一人ひとりの「悩み」を聴き取り、掬いあげていくことを強く労働者に訴えているのです。
高野実さんは「正しい要求ではなく、切実な要求」という言葉を強調されます。
高野さんは「臨時工など」の労働者を意識し、労働者の切実な要求をくみ上げています。これは現在の「非正規労働者問題」とまったく違わないではないかとさえ感じます。今の問題ですね。
優先課題を設定した「部分共闘」の展開は「正しい要求ではなく、切実な要求」をくみあげていくなかから追求できるのだと考えます。高野さんの「二重の組合性」という考え方は、その意味において積極的な意味を見出していけると思うのです。
とても戦略的なあり方ですね。
戦略的に物事を考えていくことの意味合いを学ぶことができる人こそ高野実さんであり、社会運動を考える際の豊かなヒントになります。
早稲田大学の篠田徹さんはこんなことを言っています。
「労働運動はどうあるべきか、労働運動とは何かというふうに問うたら、それはその時々によって変わり得るものだと考えた方がいいのではないか」
労働運動もやわらかく変わり得ます。それは、社会運動にも言えることだと思っています。