○Aさんの実態について(承前)
母親もうつ状態で通院し、同じ病院に入院することになります。Aさんにとって父親も母親も精神的な負担になっていました。母親はAさんの母親であるということが自分の存在意義でしたので、「共依存関係」に陥っており、井沢先生は、母子の「密着状態における弊害的状況を呈していた」と表現しています。
では、Aさんと地域社会との関係はどうだったでしょうか。Aさんの家族が住んでいた場所には韓国人の家族は他にもいましたが、韓国人どうしのつながりはなかったと言います。韓国人の互助組織である民族団体もありましたが、貧しくて会費が払えず、入会できなかったそうです。当時は、韓国人・朝鮮人に対する差別意識は強く、周囲の日本人社会から孤立していましたが、在日コリアンのネットワークからも孤立していた状況だったのです。
「やっぱり『在日』が集まる場に接してみたかったというのはあったんですね。あったんですけど、実際こう来てみて、『在日』どうしてっていう思いはあるんですけど、ただ、ぼくくらいの年で一世の親を持っている人ってそうはいないんで、なかなかそういう思いを分かちあえる人はいないなと思って。」
「ぼくの精神疾患に陥った原因とか、精神疾患と社会の関係とかをもっと多くの人と共有しあいたいんですよ。」
Aさんは2世で生きている50代くらいの人だったら思いが通じると思うが、民族団体にそういう人がいなかったことが、充たされないという気持ちにさせていたのでした。
Aさんは「ゲームが好き」で、「人生の中で自分が初めて自由を感じられた空間」だった、と。ゲームの世界はルールがあって、そのルールに従っていれば「何をしても誰もいわないし、失敗しても笑わない」と言います。
「何か誰かに何かいわれるんじゃないかと思って、びくびくしながら何かするっていうことがなく、何ていうんですかね、いくら失敗してもいいし、うまくいけば、それが何か達成感があって楽しいっていうので。」
Aさんは中学卒業後、夜学に働き、お金を貯めて専門学校に行きます。しかし、専門学校に入学して1年後、退学。その後、統合失調症の診断を受けて3度目の入院。
○井沢先生の考察
井沢先生はAさんの生活史を通して、Aさんが統合失調症を発症するまでの「社会環境的背景」を浮き彫りにした後、その考察を試みています。
1970年代の終わりに在日コリアンのインタビュー調査を行ったLeeらの研究を引用し、「在日コリアン家庭における特徴として『妻の夫に対する蔑視』」を取り上げます。「日本社会において在日コリアンは日常生活や就職・結婚といった人生の局面で差別的処遇」を受けてきて、とりわけ「男性はそうした差別的処遇の結果、本人の能力に見合うだけの安定した職業に就く機会から排除されてきた」というのです。また、「朝鮮半島は儒教的な考え方が強い社会」であり、「父親に家長としての役割と責任が求められ」、「家族に経済的安定を保証する役割」でした。しかし、「在日コリアンの男性はそれを成しえないことが多かった」と言います。つまり、それは「父親の無能さ」という評価につながります。井沢先生は「父親は家族のそうした評価を自覚しており、それは、社会における在日コリアンに対する蔑視観と家庭における『家長としての権威の失墜』という二重の意味での尊厳を傷つけられることになる」と述べています。さらに、「父親はそのストレスをアルコールや家族への暴力によって発散しようとし、家庭は機能不全の状態に陥ることになる」と付け加えています。
井沢先生は、Aさんの語りから、父親がアルコール依存・ギャンブル依存の状態であったことや、ドメスティック・バイオレンスもあったこと、母親はそうした父親との関係を悔やんでいたことに着目し、以上の分析をしているわけです。
また、Aさんの家族は在日コリアン・コミュニティからの隔絶された状態であるとともに、地域社会の日本人住民との交流もなかったことも、家族の機能不全的状況に陥っていることの理由に挙げています。Berryの「文変容ストレス」という概念を援用し、詳細にそれについて分析しています。
在日コリアンは「インボランタリー・マイノリティ」の一人だと井沢先生は言います。この概念は、「その社会に奴隷制、征服、植民地化によって組み入れられた人々」のこと言いますが、在日コリアンの方々は「植民地政策の影響を直接的間接的にうけ日本に渡って来ることになった人々であり、A氏の父親の語りにも、自らの境遇に対する遺恨の念が強く反映されていた」と言っています。つまり、そのことによって、精神的ストレスを感じ、精神障がいを発症しやすくなったのではないか、と。
Aはインターネットを通して民族団体を知り、そこでの活動で自らの民族アイデンティティを意識するようになり、朝鮮半島・在日コリアンの歴史を学ぶことで、「自らの家庭環境、父親の体験やそれが一因となって引き起こされたアルコール依存やギャンブル依存、ドメスティック・バイオレンスの問題など、また母親の体験や、父親との関係で引き起こされた精神疾患の状況が、単にA氏の家庭だけの『個人的問な問題』だけではなく、『在日コリアン』という社会歴史的位置性の中で形成された『社会的問題』であることを認識するようになる」とし、またそのことによって、「A氏の精神障害発症の社会的要因を客観的に捉える契機になった」と井沢先生は分析します。しかし、民族コミュニティはAさんにとって「別の世界」でしかなかったとも分析しています。つまり、「精神障害をもつ自らの存在性を受けとめてもらうことができない」場所だったのです。
井沢先生は、「在日コリアンの民族団体では従来、民族的紐帯や民族的アイデンティティの認識ということが第一義的目標とされてきた」と言います。そのため、「『在日コリアンであること』以外の特質」、たとえば、「精神障害者である」、「性的少数者である」といったことについて積極的な議論の対象とはならなかったと井沢先生は指摘しています。井沢先生の研究論文の発見と画期性は、まさにここにあると言ってよいと思います。つまり、今まで「個人的な問題」として片づけられてきた問題を「社会的問題」として捉え直したこと、また、「個人におけるアイデンティティの問題」は、「民族アイデンティティ」とか「性的アイデンティティのみによって」といったような、単一要素によって構成されるものではなく、「民族や性あるいは障害の有無など重層的で複数の要素によって構成されるものだという捉え方が一般的になりつつある」とし、Aさんのアイデンティティの問題を、「アイデンティティの重層性や複合性」として捉え返したことこそ、井沢先生の研究論文の独自性が浮き出ているのではないかと考えます。
井沢先生の論文を拝読していた際、「貧困問題」の捉え方についてあらためて考え直されました。つまり、「貧困問題」は「個人の問題」ではなく、「社会構造的な問題」として捉えるとともに、社会的に排除されやすい方々の抱える問題の背景には、①家族関係をめぐる問題、②精神保健をめぐる問題、③経済的な問題、④社会的関係をめぐる問題、⑤差別や偏見をめぐる問題、など、様々な要因が複合的に絡み合って、当事者は生きづらさ・働きづらさを抱えているという認識をさらに深めていく必要があるのではないか、と。
井沢先生の研究論文の発見と画期性は、その意味においても、私たちが追求する問題を捉え直していく契機になると考えます。
以上のことを考えさせてくださった井沢先生に感謝申し上げます。(終わり)