「福は内、鬼は外」
2018年2月3日(土)、今日は「節分の日」ですね。
私たちのグループホームではなるべく季節感を味わっていただくため、入居者と一緒に「豆まき」を行いました。
土曜日であったので、ご実家に帰宅された方もおり、Bさんが縁パワーの代表として「豆まき」をしてくださいました。
Bさんは「このグループホームに来てはじめての節分です」と話され、お皿の上に豆を入れて、ニコッとした笑みを浮かべながら、
「福は内、鬼は外」
と、しっかりと声を出されて楽しんでいらっしゃいました。
いつもイベントの様子をデジカメで撮影させていただいていますので、「豆まきの様子を撮らせてくださいね」との声掛けに「いいですよ、大丈夫ですよ」と言ってくださいます。
こうしてBさんと一緒に「豆まき」をさせていただけることも楽しい取り組みです。
通常は数え年の数だけ豆を食べていただくのですが、「食べられる分だけもらっていきますね」と言われて、お皿から残りの豆を持ってお部屋に戻られました。
ところで、本来、「節分」とは季節を分ける、つまり、「季節が移り変わる節日」を指します。したがって、1年に4回(立春・立夏・立秋・立冬の前日)あったものでしたが、日本では、立春を1年のはじまりである新年と考えますので、その前日の大晦日に行うようになったようです。平安時代には大晦日に旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事が行われ、室町時代以降から豆をまいて悪い鬼を追い出す行事へと発展したと言われています。
ご存じのように、節分は邪気を追い払い、1年の無病息災を願う意味合いがあって、「豆をまく」そうなのです。「豆」とは「魔の目」のことですね。つまり、「魔の目」を鬼の目に投げつけて、「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。
※ちなみに、柳田國男監修の『民俗学事典』によれば、「節分」についてこう書かれています。
「節替りというのは古い名らしく、旧暦では閏年以外は元日から七日正月までの間にこの日の来ることが多かった。このため他の行事と混じて、本来の節分行事が何であったのかはっきりしていない。しかし、現在この日に行われる行事には、主として邪霊災厄を防ぐ呪術的なものが多い。戸口に鰯の頭と柊の枝をさす風は全国的で、(中略)大豆を炒り、唱えごとをして室内に撒きちらし、鬼を打つ行事は社寺では追儺として行われ、主として都市を中心にひろまったが、各地の伝承では大晦日、煤払いの日、七日正月などにも豆撒き行事がある。必ずしも節分に限らず、新しい季節を迎えるに当たって邪気をはらう一つの方式であったことがわかる。節分にも厄落しをする習わしが広い。」
通常、節分では「福は内、鬼は外」と言って豆をまきますが、地方によっては「福は内、鬼は内」と言うこともあるようです。昔話では「鬼」は「恐ろしい者」の象徴として描かれていますが、民俗学者の柳田國男や折口信夫によれば、「鬼」とは「死者の霊」のことを言うそうですので、「祖霊」を意味していたと言われています。古来の日本人は「祖霊」とのかかわりを重要視していたわけですから、そうした「祖霊」に向かって豆を投げつけるのはいかがなものかという考えからかはわかりませんが、いずれにしても、「福は内、鬼は内」と言って豆をまく仕方があっても理解できるような気がしますね。
ちなみに、柳田國男は「豆まきの起原」を思わせる小湊の小正月前後の行事で「豆のかわほんがほんが/銭も金も飛んで来い/福の神も飛んで来い」という詞を唱えながら、家の周囲に豆をまきちらしたという例を挙げていましたね。
柳田國男という名をはじめて知ったのは、三十年近く前に吉本隆明の『共同幻想論』を読んでからでした。それ以来、柳田民俗学が気になっていましたが、最近、文芸批評家の柄谷行人の『遊動論 柳田国男と山人』(文春新書)『柳田国男論』(インスクリプト)を読んだこともあって、あらためて柳田国男の著書を読むようになっています。
横道にそれましたが、Bさんと「節分の日」を体感することができて、とても嬉しかったです。