歴史から学ぶ6 ~地域コミュニティの喪失と再生~
認知症高齢者グループホーム勤務
社会福祉士 佐藤 信行
毎年、文化の日に群馬県の山里に在る妻の実家へ墓参りに行きます。実家は家業の建具屋を継いだ義兄が護り、母屋隣のアトリエが義兄の働き場です。アトリエには、だるまストーブが置かれ、燃料は建具の作業ででた木っ端を用います。ストーブの回りには、スイッチの入れっぱなしのラジオと小机と椅子が数脚並べられ、常時火が焚かれています。アトリエの扉は開放されているので、義兄の在不在に関わらず、村人が暇潰しに菓子や茶や酒を持ち込み出入りして、集いの場となっています。義兄は本業の合間に、趣味で庭の畑で野菜や米を作り、それは家族で消費するに充分すぎる収穫量で自給自足が成り立っています。春夏秋冬上州の山里で建具を作り、家族に囲まれ、アトリエに仲間が集い、自給自足の生活を営んでいます。
私は妻の実家を訪れる度に、[義兄は真に豊かな暮らしをしているな]と羨ましい気持ちになります。
昔はこの様な風景が、いたるところで見られたのだろうと思います。しかし、今では特に都市部では殆ど絶滅しました。歴史家によれば、近代から人々への最大の贈り物は、人権、平等、自由といった普遍的価値と衣食住の量的豊かさとのことです。しかし、人々は衣食住の量的豊かさと引き換えに、大事なものを失いました。それは地域コミュニティ、つまり[地域コミュニティの喪失]です。
高度経済成長期、都市部に住む核家族の大黒柱である父親のほとんどは、住む場所と働く場所が異なりました。彼は、[家庭]と[職場]の二重のアイデンティティーを背負うことになります。この時、家庭のことは専業主婦である妻に任せて、家庭を顧みることなく仕事に専念して、国の経済成長に貢献出来るように仕組まれたのが、[第三号被保険者制度]です。父親であり夫である彼は、長時間勤務に拘束される経済戦争に徴兵されたのです。また、市場の競争原理により、大規模店舗、量販店、スーパーマーケットの進出で、地域コミュニティの中核を担う商店街は破壊されました。人は、消費者であると同時に労働者です。賢い消費者として、より安くより良い商品を購入し続けているうちに、労働者としての立場を不安定にする罠に嵌まってゆきました。
銃後に残された、母子は受験戦争に突入します。より良い生活を手に入れるためには高学歴であることが必須と刷り込まれた母子は、必勝の祈願で戦いに臨みます。しかし、努力の末、運良く高収入が保障される仕事を手に入れても、待っていたのは、父親と同じ経済戦争への徴兵でした。しかも今回は、バブル期以降の大負け戦です。競争相手は国内だけでなく、労働者の賃金が十分の1の工場で生産される良質な商品です。また、家庭、特に子供に問題が無ければよいですが、一旦問題か発生すると母親の力だけては解決出来ません。しかし、その時父親には家庭内の問題に介入するだけの余裕はありません。問題は解決されずに先送りされ、結果、万単位の[引きこもりの方]を産みました。昔はテレビのチャンネルと固定電話の主導権は親が握ってましたが、現在は子供が自由に情報にアクセスし、擬似コミュニティへ逃避出来ることも、引きこもりを深化させる要因となっています。
近代以降、私たちは衣食住の圧倒的な量的豊かさを享受しました。しかし、国を富ませるために職場に長時間拘束された父親の家庭は、HouseであってもHomeではなく、同時に父親どうしの繋がりの無いHouseの集合体である地域は、地域が抱えた問題を解決する仕組みの在る、[コミュニティ]と呼べるものではなくなったのです。近代化により、Houseは孤立化し、抱えた問題が深化したと解釈できます。地域コミュニティの喪失は、公私に渡って有事の際に顕在化します。