歴史から学ぶ9 ~中東混乱の理由~
認知症高齢者グループホーム勤務
社会福祉士 佐藤 信行
連日、ニュース報道されている中東情勢。私たち日本人には、中東情勢は馴染み無く、混乱の理由を理解することは難しいです。しかし、中東情勢を理解することは、とても大切なことなので、イスラムの[カリフ制]、[シーア派とスンニ派]、[中東混乱のルーツ]を一緒に学んでみたいと思います。
カリフ制
イスラム世界に預言者として登場したムハンマドが7世紀に没した後、その後継者である[カリフ]がイスラム共同体の中から選ばれることになりました。以降、カリフは広大なイスラム世界を束ねる統合の宗教的・政治的な軸となりました。
シーア派とスンニ派
ムハンマドが7世紀に没した後、イスラム共同体は指導権を巡って分裂します。ムハンマドの高弟たちがアブー・バクルをカリフに選んだ時に、それに不満な者たちが、ムハンマドの従兄弟で娘婿でもあったアリーの周りに集まり分裂の芽が生じます。アリーが第4代カリフになると、不満を持つ者たち(ハワーリジュ派)がアリーを暗殺します。それに対して、[アリーこそイスラムの教えを誤り無く伝える無謬の教主であった]と考えるシーア派ができました。そのどちらでもない残りの多数派がスンニ派の元となります。スンニとは、[慣行、慣習]を意味します。ハワーリジュ派は、まもなく消滅し、シーア派とスンニ派が2大宗派となりました。現在、割合はシーア派が2割、スンニ派が8割程度です。主なシーア派の国はイラン、イラク、シリア、バーレーン。スンニ派はそれ以外の国という感じです。サウジアラビアとエジプトはスンニ派一色です。
中東混乱のルーツ
第一次大戦は、イギリス、フランス、ロシア陣営VSドイツ、オーストリア、オスマントルコ陣営との戦争でした。イギリスは戦争を有利に進めるために、戦後のオスマントルコ領土分割を決めた、フランスとのサイクス・ピコ協定、ユダヤ人にユダヤ国家建設を約束するヴァルフォ宣言、イスラム部族の国作りを約束した(映画 アラビアのロレンス)フセイン・マクマフォン書簡の三枚舌外交を展開して、フセイン・マクマフォン書簡だけ破棄しました。
サイクス・ピコ協定によりオスマントルコ領土は、英仏の手前勝手な理由で人為的に分割され、イスラムの各部族はバラバラにされました。また、第二次大戦後に、パレスチナにユダヤ国家イスラエルが建国されました。このキリスト教国及びユダヤ国家による、イスラム教国の分割、占領が中東混乱のルーツです。