歴史から学ぶ 10 ~歴史から学ぶ~
認知症高齢者グループホーム勤務
社会福祉士 佐藤 信行
[歴史から学ぶ 1から9]で、駆け足で近現代史を俯瞰してきました。これは、長い時間軸の中で、現在自分たちの置かれている立ち位置を確認するための作業です。私は、政治に関わる者ではないので、市民レベルで社会をより善くするため、より善く生きるために如何に思考し、如何に行動すべきかを模索しています。近現代史を俯瞰して解ったことは、未来から見て、現在は歴史的ターニングポイントに位置し、自分たちはその瞬間に生きていることです。
私は、幸いにも第二次大戦後、高度経済成長期の日本に生まれました。戦後の70年間とは、実は歴史的に極めて稀有な時代で、奇跡的な平和と繁栄を享受しました。しかし、後半の四半世紀に世界は混乱の渦に巻き込まれました。近未来の日本は、西に中華帝国、東に米帝国に挟まれ、辺境の民として生きてゆかなければなりません。そのために、周辺国の韓国と台湾と信頼関係を築く必要があります。私たちにできることは、市民レベルでの信頼関係の構築です。
私の母は、学生時代に東京の親類宅に下宿していました。学費を稼ぐために、台湾から帰化した家族が営む、西荻窪駅近くの食堂でアルバイトをしていました。同時に、そこの娘さんの家庭教師をしました。母とその家族の皆さんは、母が卒業後も交流が続き、今でも深い絆で結ばれています。私も、店の親父さんが作るオムライスが大好きです。
台湾は、中華人民共和国から独立を認められていません。しかし、日本と同じ人権と民主主義を重んじる国です。国と国との信頼関係の礎には、同じ価値観を有していることが大切です。日本は辺境国として、台湾をバートナーに選ぶことは決して間違っていません。それは、[歴史から学ぶ 8]に掲載してある通りに韓国も同様です。
また、日本は、第一次第二次両大戦を通じ中東へ軍隊を派遣していません。また、キリスト教国でもありません。先進国の中でこの二つを満たす稀有な国です。中東問題には、日本にしかできない役割があると思います。私の学生時代(1980年代後半)に、上野公園に、中東から来日した人々が大勢居ました。成田空港から京成電鉄に乗って、ターミナルの京成上野駅に着き、彼らの最初に降り立った場所が上野公園だったのです。当時は、バブルで景気が良かったので、日本人に雇われて稼いだお金を本国へ送り、本国の家族を養っていた中東の出稼ぎ人が大勢いたのです。彼らは、今でも日本に対して感謝の気持ちを忘れてないそうです。
イスラムは、[喜捨 歓待]の文化を有します。財は蓄財せず共有し、見知らぬ旅人が訪れたら招いて歓迎します。中東は環境が厳しいので、生命に関わる大切な物は皆で共有し、自分が旅人の立場だったら?と慮り、旅人の宿泊を断ることは決してしません。もしかしたら、現代の日本人が忘れてしまった大切な生き方を、イスラムの人々は大事に実践しているのかもしれません。グローバリズムにNOを突きつけている、[喜捨 歓待]の文化の中に、一人一人を大切にした、皆が幸せになれる、世を善くする知恵が在るのではないでしょうか?
今こそ、日本から、武蔵村山から、先人の知恵を高らかに掲げます。
[人の世に熱あれ、人間に光あれ]
終わり