認知症高齢者グループホーム勤務
社会福祉士 佐藤 信行
4月5日に起きた、[土俵から救急救命中の女性を退去させた出来事]について考えてみたいと思います。
土俵上でセレモニー中、突然男性知事が後方へ倒れ、痙攣しました。脳卒中の恐れがあり、基本原則として身体を動かすことは危険なため、救急救命は土俵上でしかできない状況です。場内に居た、数名の医療関係者(女性)が、土俵に駆け寄り、土俵に上がる旨の許可を周囲の人から得て、土俵に上がり救急救命を開始しました。しかし、行司からの、[女性の方は土俵から降りて下さい。]の場内アナウンスで、救急救命中の女性たちは土俵から降ろされました。
この時の行司の判断は、全くもってナンセンスで酷評に晒されることは当然です。しかし、敢えてこの問題を考えてみたいと思います。
相撲は、巡業(見世物)であり、プロスポーツであると同時に宗教儀式(祭事)です。行司の、[女性の方は土俵から降りて下さい。]の判断は、[祭事空間である土俵に女性が上がることの禁忌。]によるものです。禁忌の理由は、穢れ、カミ様の嫉妬を回避 などのようです。相撲には歴史があり、その文化や仕来たりは歴史の重みでもあります。女性が土俵に上がる禁忌は、近代史以降に生きる私たちには、極めて違和感がありナンセンスです。
この問題の困難さは、祭事[宗教儀式]と、近代知[近代史以降の理性]とは、容易には同じ土俵で論議できない問いなのです。問いの主題は、宗教儀式[見えない世界・向こう側のルール] VS 近代史以降の理性[見える世界・こちら側のルール]との衝突なのです。
祭事[宗教儀式]としての相撲は、女性を土俵に上がることを禁忌とします。長い歴史の中で、この禁忌が改められなかったのは理由があり、本当に悪質な仕来たりであれは、歴史過程で淘汰されていたと考えます。その仕来たりが現在に至るまで存在するのは意味があると考えます。これを、伝統といいます。
シュタイナー人智学は、[見えない世界の法則を、人が善く生きるために役立てる]と考えます。見えない世界のルールは、人が善く生きるために在るのです。キリスト教正統派プロテスタント神学は、[神は、人のためにおられる]と考えます。祭事を、人が手前勝手に都合よく解釈するのは危険です。しかし、目の前に瀕死の重傷者がいて、見えない世界のルールを遵守することが、その救助の妨げになることを、神は絶対に望みません。
相撲のカミ様は、早く現代相撲界の確執が解決して、力士の格闘技を安心して楽しみたいと思っておられるでしょう。相撲は、人が善く生きるために、人に与えられた、カミ様からの贈り物なのです。
続く