認知症高齢者グループホーム勤務
社会福祉士 佐藤 信行
パウル・クレー(1879年~1940年)画家(表現主義)。スイスの首都ベルンに生まれる。両親はドイツ人音楽家。幼少よりヴァイオリンの才能があり、11歳でリオン市の管弦楽団の非常勤団員を勤める。彼の音楽的感性は生涯における創作の源になる。
1914年 北アフリカのチュニジア旅行。色彩と線を、純粋に運動と浸透の感覚をもって組織する術※を体得する。
1916年~ 第一次大戦従軍。
1920年~ 芸術と産業を統合する、美術工芸学校バウハウスの教鞭を執る。絵画教育の理論化に貢献。
1933年~ ナチスに逐われる。
1940年 没。
パウル・クレーは、ルドルフ・シュタイナー(1861年~1925年)と同じ19世紀後期から20世紀前期にかけて、ドイツ語圏に生きた人です。啓蒙思想的欧州秩序体制下に生まれ、第一次大戦の大量殺戮を経験し、多額の賠償金を負わされた敗戦国の民です。19世紀の欧州人は、キリスト教の呪縛から開放され、合理主義と理性と科学力で幸せになれると考えました。しかし、史上初の世界大戦を惹き起こし大勢の人命を失います。その流れの中で、近代知に触れることで捨て去られてしまったもののなかに真理があるという精神運動が起こります。これをロマン主義と言います。パウル・クレーの表現主義とシュタイナー人智学は、ロマン主義の中で起きた現象と捉えることができます。
パウル・クレーは、[芸術は見えないものを見えるようにする。]と説きました。外的な現実そのものよりも、その現実をつき動かしている内的衝動を表現対象にする(表現主義)と解釈します。シュタイナー人智学の、[直観や感性を磨き、見えない世界の法則を、より善く生きるために役立てる。]の思想と合致します。チュニジアで体得した、色彩と線を、純粋に運動と浸透の感覚をもって組織する術とは、※[視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触角だけでは捉えることのできない対象の本質を、直観と感性(彼は特に音楽的感性に秀でていた)で捉え、ありのままを表現する術]と解釈します。クレーは、シュタイナーが人智学をベースにした教育論と並行して、同質の絵画教育の理論化に貢献していたものと考えます。
この世で私は理解されない。いまだ生をうけてないものや、死者のもとに私がいるからだ。創造の魂に普通よりも近づいたからだ。だが、それほど近づいたわけではあるまい。(墓標刻碑)
古代キリスト教に、グノーシス主義と呼ばれるものがありました。グノーシスとは、ギリシャ語で知識を意味します。キリスト教では人間を救済に導く究極の智恵を指し、異端として排除されました。しかし、グノーシス主義はどうやれば救済のチャンスをつかむことができるのかという人の努力を重視するアプローチです。第一次大戦を惹き起こした欧州人にとって、合理主義と理性と科学力を信仰する啓蒙思想でもなく、キリスト教正統派神学でもない、異端として排除されたグノーシス主義に救済を求めようとしても不思議ないと思います。
クレーとシュタイナーの間に交流があったのかは解りません。しかし、二人が時代のニーズからインスパイアされた、見えない世界の法則を、見える世界で役立てる理論を有していたことは間違いないと思います。
続く
参考:著作 佐藤 優・高橋 巌 [なぜ私たちは生きているのか] 平凡社新書
著作 前田富士男/ほか [パウル・クレー絵画のたくらみ] 新潮社