認知症高齢者グループホーム勤務
社会福祉士 佐藤 信行
土佐の脱藩浪士坂本龍馬は、「日本を洗濯し候う」の志を抱き、東奔西走して日本の近代化に貢献しました。龍馬の功績は多々ありますが、外国からの兵器調達と薩長同盟締結は有名です。
生麦事件を発端とする薩英戦争で、英国の西洋式兵器(軍艦、大砲、銃器)の前に完敗した薩摩藩は、日本の近代化には西洋式兵器による軍隊編成が必須と学びます。この西洋式兵器(特に銃器)を、英国商人グラバーを介して薩摩藩に調達したのが龍馬です。
龍馬は、長崎商人からグラバーを紹介され、トントン拍子で薩摩藩とグラバーとの間に契約を成立させます。薩摩藩は千挺単位の西洋式銃器を装備し、長州藩にも銃器を提供して、薩長同盟は国内最強の兵力を有するに至り、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争に勝利し明治維新(1868年)を成し遂げました。
龍馬は、幕臣勝海舟より国際情勢を学びました。しかし素浪人の龍馬が、数々の偶然が重なったとはいえ、独自の判断と采配で千挺単位の西洋式銃器を非政府勢力への売却を仲介することが本当に可能だったのでしょうか?
米国南北戦争(1861年~1865年)で、大量の旧式銃器が余りました。19世紀は銃器が飛躍的に進歩し、特に戦争によって進歩は加速しました。米国最大の内戦南北戦争を通して銃器は改良され、大量の旧式銃器が余るに至ったのです。この余剰旧式銃器に目をつけた英国商人グラバーが、日本で内戦が起きそうである情報を得て日本へ銃器を売却する計画を立てます。日本国内での売却先を探していたタイミングで、龍馬の存在を知り、売却先との仲介役として龍馬に白羽の矢を立てました。