清玩陶器との出逢い
社会福祉士 佐藤 信行
今年の誕生日に、山田育男氏から山根清玩師匠の陶器のマグカップを戴きました。
私は、清玩陶器に力強さ、繊細さ、儚さを感じます。これは闘士のマインドに通じるものです。力強さは力、繊細さは鋭敏な神経、儚さは敗者への鎮魂。山根清玩師匠は空手家でもあるとのこと。闘士は闘いの場で無駄な動きをしません。これは、立体造形の虚飾を排した引き算の美学と同質と捉えます。私は「積極的な簡素さ」と表現します。闘士の作った陶器に闘士のマインドを感じるのです。
陶器作りは一期一会、作品は偶然の産物。二つとして同じものは作れません。人の技と宇宙の意思との共同作品です。作り手には宇宙からの意思を謙虚に受け入れるマインド、心の素地が大切です。マインドのチャンネルが宇宙からの周波数に合った時に傑作が生まれるのです。
私の前に、螺旋の持ち手がついた逆円錐形の清玩マグカップがあります。真に不思議なことに、螺旋の内側の曲線が私の薬指と中指に絡みつくようにフィットするのです。このマグカップは私に出逢うべく生まれた作品のようです。
剣の達人は、柄の握りで一番大切なことは、薬指と中指の握りであると言います。マグカップの螺旋の持ち手が薬指と中指に絡みついた時、私のマインドと闘士のマインドが融合しました。同時に私のチャンネルが宇宙からの周波数に合いました。優れた芸術作品とは、宇宙からの周波数に人の心を合わせる装置であると思います。
私は、太古の土器は「神からの語りかけを人の心を合わせる装置」であったと捉えてます。縄文式土器にルーツを有する現代の陶器を日々の生活で使うことで、神からの語りかけに耳を傾ける謙虚な精神を養いたいと思います。
山田育男氏に心より感謝申し上げます。