復活
社会福祉士 佐藤 信行
慢性硬膜下血腫の父は、9月20日に脳内の血腫が増大して以降、意識はありますが疎通のできない状態でした。水分と流動食と処方薬を摂取し、褥蒼防止のため介護職員の方々に日に何度も体位変換とベッドと車イスの移乗に全介助を受けて、臥床している間は寝息をたてて一日中寝ていました。10月に面会に行った時は、私が左手を握ると父は軽く握り返してきました。これが私と父との唯一のコミュニケーションです。父は私が居室から退出する時、焦点の定まらない目でなんとなく扉の方を眺めていました。「・・会うのは今日がさいごかもしれない・・・」と、人はこの様に蝋燭の灯が徐々に消えるように逝くのだなと改めて感慨深く想いました。
11月の初旬に、介護施設の看護師さんから電話がありました。私は、最近は着信音が鳴る度にドキッとして電話恐怖症になっています。一呼吸置いて恐る恐る電話にでました。「お父様が、新聞の広告に載っている腕時計が欲しいので息子さんに買ってきて欲しいと申されてます。」と看護師さんが言いました。私は、話の内容が直ぐには理解できず「・・・えーと、父は・・時計の時刻を読み取る能力があるのですか・・・?」と聞き返すと「はい、枕元の置時計を車イスに乗せています。それでは不便だから、新聞広告の腕時計が欲しいそうです。」と看護師さんが言いました。「・・はぁ~新聞広告?車イス?・・父は新聞を読めるのですか!?」と尋ねると「気になる記事を切り抜いてもらって、ノートに貼っておられます。車イスも自分で漕いで食堂まで移動されてますよ。」と優しく答えて下さいました。