信州鉄道の夜 2 (文藝復興と民藝)
社会福祉士 佐藤 信行
「ルネッサーンス!」
ワイングラスを掲げシルクハットを被った髭の男爵風の男と、眼鏡をかけた従者風の二人組お笑い芸人の決め台詞です。コント設定は、オチの部分でインチキセレブ調の男爵が「ルネッサーンス!」と言ってワイングラスを「チン!」と鳴らして自虐的に落とすお約束です。インチキ臭い衣装とルネッサンスの響きとのギャップが乾いた笑いを起こします。ネタの意図は「ルネッサンス=欧州金満貴族文化」のようですが、ルネッサンスとは、欧州金満貴族文化ではありません。ルネッサンスの意味は「文藝復興」です。
文藝復興とは、およそ13世紀から16世紀にかけて、欧州で興った人間中心主義文藝復興運動で、代表的な人物はレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、テイツィアーノです。中世キリスト教文化圏で続いた宗教の厳格な縛りから人間を解放し、人間の幸福を中心に据え、人間の善の可能性を前向きに、積極的に、飛躍的に、表現した藝術運動です。歴史上、キリスト教文化圏で興きて、イスラム教文化圏で興きなかった出来事に、イタリアのルネッサンス、ドイツの宗教改革、英国の産業革命、フランス市民革命が挙げられます。市民革命で獲得した人権思想、自由、平等、民主主義の萌芽はルネッサンス期に芽生えたと考えます。
僕は、『ダイアル』の回でも触れましたが「先端技術が人のために存在するのではなく、人が先端技術のシステムを維持するために存在する逆転現象に警鐘を鳴らすべき」と語りました。社会の中心に据えるのは、AI、インターネットをはじめとする先端技術システムの維持ではなく、人の幸福であるべきです。ルネッサンスに準えれば、先端技術システム維持の縛りから人を解放し、人の幸福を中心に据え、人の善の可能性を前向きに、多様性と、寛容を保障する運動、ネオ ルネッサンスが今、求められていると考えます。
信州松本の旅で、20世紀初頭に日本で興きた民藝運動の軌跡を辿りました。松本駅よりタクシーで北東の方角に進み、旧制松本高等学校を過ぎて暫く行くと、旅の目的地「松本民藝館」に到着します。民藝の哲学は「美は、庶民の日常の生活の中で用いられる道具に宿る」と、僕は解釈します。中心に据えるのは、民の日常の生活です。民の幸福を中心に据え、人の善の可能性を前向きに、多様性と寛容と用の美を表現する藝術運動が民藝であると捉えます。僕は、ルネッサンスと民藝運動は、共に民の幸福を中心に据える文藝復興の意味において等しいものと捉えます。民の生活を、中心に据える社会を取り戻す処方箋のヒントは、民藝にあるのではないか?と、僕は考えます。
民の、民藝との関わりかたには二つのスタンスがあります。一つは、使い手(ユーザー)、もう一つは作り手(クラフト)です。次回は、使い手として民藝との関わりについてお話しします。