優しさが仇となる時
介護職員Aさん
「・・・寝てられないよ、私がこんなふうになっちゃって、お父さん(夫)や娘との関係がメチャクチャになっちゃったんだから・・・」。夜間、建物の中を徘徊し続ける認知症高齢者を、就寝させるべく居室のベッドに座らせた時に、彼女から言われた言葉です。
「お父さん来る?・・・お父さん来る?・・・お父さん、いつ来るの?・・・」。しつこく、しつこく、一日中、職員に質問します。自分が望む答を得るまで、職員を掴まえて質問し続けます。「お父さん来る?」という質問は「お父さん来るよ」という答を得たいために発するものです。『お父さんが、私に会いに来る』という彼女の願い(世界観・妄想)を保障、承認してもらいたい承認欲求であると解釈します。認知症発症により、家庭崩壊を修正することは出来ないと知りつつも、一方で親子円満な家庭、お父さんは私のことが好き(世界観・妄想)を誰かに承認してもらいたい、闇の中で光を求める救いへの渇望と捉えます。
男性職員が、彼女の世界観・妄想(親子円満な家庭、お父さんは私のことが好き)を肯定して、彼女の承認欲求を受容し、「お父さん来るよ」と答え続けると、想定外のことが起こります。即ち、第三者的立場である職員が、彼女の欲求の対象(この場合お父さん)となり、結果として職員の優しさが仇となってしまうことです。徘徊、暴力、介護拒否という認知症の行動・心理症状は、認知症の心の痛みであると、私は解釈しています。存在を否定され続けた者の心の痛みの訴えです。私は、唯脳主義に寄って立つ者です。その人にとっての主観的真理(世界観・妄想)は、客観的に捉えて非現実的であっても、その人にとってリアルです。その痛みを和らげるために、その人の世界観に飛び込み、主観的真理を共感する(妄想に寄り添う)ことが介護職員の務めと心得ていましたが、アプローチの仕方によっては事態を混乱させることをあらためて痛感した。そもそも、私的な感情から発する優しさを職務に反映させる者はプロフェッショナルとして失格です。利用者と向かい合う時、特に精神疾患を患っている方の支援に私的な感情を交えないことは、基本中の基本です。それを怠ると、利用者のみならず、我が身さえも傷つけることになります。
しかし、現場に立つ者として同時に問いたいのは、主観的真理を共感するスキル以外に、その心の痛みを和らげるスキルはあるのでしょうか?
「・・・寝てられないよ。私がこんなふうになっちゃって、お父さんや娘との関係がメチャクチャになっちゃったんだから・・・」。その一瞬、彼女の瞳は、確かに正気でした。