8050の処方箋を考える
善い大人たちとの出逢い①
理事 佐藤 信行
僕の登校拒否(当時、不登校は登校拒否と言いました)の始まりは、中学1年生(1979年)の時です。当時僕らは千葉都民と呼ば
不登校のきっかけは、音楽の授業のアルトリコーダー(縦笛)の試験で、クラスメートの前で小図に吹けなかったことです。アルトリ
僕は子供の頃から体が弱く喘息持ちで、一ヶ月に一回は風邪をひき、小学校の秋の大運動会は一度も出席したことがありません。秋に
苦手な試験はアルトリコーダーだけではなく、英語、数学も苦手で
少女期からキリスト教の影響を受けた母は、僕のことを心配して、
ファースト宗教体験は、その人にとって宗教の鋳型となり、その後
学業不振の不登校中学生でしたが、義務教育ということで卒業でき
それは、また別のお話・・・