８０５０の処方箋を考える ～善い大人たちとの出逢い　3～

 

 

８０５０の処方箋を考える
～善い大人たちとの出逢い　3～

 

 

理事　佐藤　信行

「信行、温泉に連れていってあげるよ。」と、母が誘ってくれました。毎日、何処へも行かず部屋に籠っていた僕は断る理由も無かったため、母と二人で一泊二日の群馬草津温泉旅行へ出発しました。

　草津温泉旅館に一泊して、翌日「信行、良いところへ連れていってあげるよ。」と、母は僕をタクシーに乗せ、口早に運転手さんに行き先を伝えました。タクシーはどんどん白根連峰の山頂を目指し、途中断崖絶壁に架かる橋を渡り、深い森林の中を走り、急に視界が開けた場所に出ました。そこは、山の中であるはずなのに幾つかの建物が点在していました。

　タクシーから降りて、母は僕を一棟の建物に連れていきました。その建物は、例えるならば二階建ての山小屋で、玄関の下駄箱に運動靴や長靴が並び、奥へ進むと、二段ベッドが四つ並んだ部屋がありました。そして、驚くべきことにベッドの上に見覚えのある、鞄や衣服や帽子がありました。それは間違いなく僕の私物でした。「信行は、今日からここで暮らすのよ。」と、母は裁判官のようにはっきりと宣告しました。

　そこは、標高１５００メートルにある、中高一貫の全寮制私立学校でした。母は、僕に内密に高等部への入学手続きを済ませ、僕の私物を寮へ送り、全く不意打ちで僕をつれてきました。既に僕には選択の余地は無く、全寮制学校での集団生活がスタートしたのでした。

　僕は、この学校で冒険活劇並みの体験をするのですが、その話は別の稿に譲り、ここでは、入学までの経緯を語りたいと思います。母は、僕の将来を憂い、せめて高校卒業を可能とする学校を探すために四ッ谷の「私学会館」を訪れ、僕でも入学できる高校を紹介してもらったのです。そして、唯一該当する学校が群馬県白根連峰山中にある中高一貫の全寮制私立学校でした。現在のオルタナティブスクールの走りです。当時(１９８０年代前半)は、インターネット等無かった時代ですから、母は、人伝に私学会館を探し当てたそうです。そのネットワークの中にはプロテスタント系教会の若い牧師先生や芝居の師匠も含まれます。師匠は母に「信行君は、他人様の飯を食わせなければ駄目だ。」と、家から出すことをアドバイスしました。僕を家から出すことは、しかも、虚弱体質の僕を厳しい環境(冬はマイナス１０度を下回る)の全寮制学校へ送るのは断腸の思いだったと推測します。最悪の事態に備え、母は僕を生命保険に加入させました。

　母の計画は、背水の陣でした。そして、母の決死の覚悟を受け止めてくれたのは、全寮制学校の校長先生でした。校長先生は、自分の教育理念を実践するためにＫ義塾教育学部教授の職を辞し、人里離れた山中に中高一貫の全寮制学校を設立しました。１９８０年代に、この国が将来被る教育の危機を予見し、その処方箋を模索し実践した校長先生は、多くの若者を受け入れて世に輩出し、僕もその内の一人です。

　今でも、学校の校門に位置する場所に「ひとは皆善くなろうとしている」と書かれたオブジェが後輩たちを見守っています。