8050の処方箋を考える
~善い大人たちとの出逢い 8~
理事 佐藤 信行
今、僕の半生を振り返ってみると「あの母の子ゆえに引きこもりになり、あの母の子ゆえに社会復帰できた。」と総括できると思います。子どもの頃から虚弱体質で、心配性の母は輪をかけて過保護となり、ますます僕は身心共に忍耐弱くなってゆきました。母にしてみれば「私がこの子を守らねばならない。」と、母と子の関係性に依存する共依存関係が成立していたと思います。僕は小学生の時、母から腕時計を持たされていました。理由は、夕方遅くまで遊んでいると風邪をひくから帰宅時間を決められていて、時刻がわかるようにとの配慮です。1970年代に腕時計を持たされていた子どもは僕の周りでは皆無でしたので、母の異常さが際立ちます。
このシリーズを読まれていた方は気づかれていると思いますが、一度も父が登場していません。これは理由があり、父は物理的には存在していましたが、子育ての場面では存在していなかったからです。少なくとも母は、そのように考えていました。『母子共依存で父権者不在』これが、引きこもりの一つの条件であることを僕は自分の体験から証しできると思います。これは、勤め人の父、専業主婦、子どもは二人の核家族モデルで、第三号被保険者制度を設定した国の国策であり、僕は、引きこもりは国策の犠牲者と捉えることもできると考えます。
僕の場合、2回の不登校と社会人になってからの引きこもりと、通算3回の社会不適応を発症しましたが、その度に母が人脈を駆使して、僕の前に善い大人を登場させました。その大人たちが、その時々の僕のニーズを支援するにドンピシャリ!な人選であったことは、神業に等しく、僕は幾度も人生の深淵から救済されたのです。
芝居の師匠、プロテスタント系教会の若い牧師先生、全寮制私立学校の校長先生、を人選したのは母です。と同時に、引きこもる条件を設定したのも母です。もちろん本人である僕が弱かったことが一番の原因です。
それを承知したうえで、僕が、いま一歩踏み出せない方へアドバイスできることは『周囲に助けを求めること』です。
題名は忘れましたが昔聴いた曲で「・・・jumping in the rain 羽ばたく前には、鳥だって身体を縮ませているわ・・・」と云うフレーズがありました。確か、アニメ超時空要塞マクロスのメインテーマを歌っていたボーカルの持ち歌と記憶しています。素敵な曲ですね。
ありがとうございました。