テクノロジーとストレス
理事 佐藤 信行
1989年、僕は学生寮に住んでいました。学生寮は4階建てで、2階と3階が男子寮、4階が女子寮でした。男子寮生が女子寮生に連絡したい時は、当時はガラケーもスマホも無いので小石を投げて女子寮の窓に当てて呼んだものでした。今から30年前の話です。そしてこの年1989年は、昭和天皇崩御、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、インターネット実用化と、歴史の転換期でありました。
元号が変わり、平成の30年の間にインターネットを駆使したIT革命により、テクノロジーの劇的な進化は、僕たちのあらゆる場面での生活を便利にしました。ガラケーやスマホにより、小石を投げて女子寮の窓に当てる原始的な方法は完全に淘汰されました。スマホは「携帯電話」ではなく「電話とカメラが付属した、インターネットに直結するポケットに入るパソコン」となりました。インターネットは従来の情報伝達テクノロジーを過去の遺物として、瞬く間に世界を席巻しました。
しかし、如何なる物にも光の面と闇の面があります。インターネットの光の面が便利な生活の享受とすれば、闇の面はインターネットの恩恵を被れないインターネット難民と称する方々の存在です。この闇の面は格差を拡大する現象にも拍車をかけています。
インターネット難民の問題も危惧すべきことですか、僕は本当に恐い闇の面を「人間は、自らが産んだテクノロジーの超加速度的な進化に、生身の人間はついて行けるのか?」という視座で捉えています。これは、インターネットだけではなく、あらゆるテクノロジーについてです。ここで、乱暴ではありますが、過去一万年間の人類の進化を時系列に俯瞰してみます。
狩猟石器時代から農耕鉄器時代を経て、切るテクノロジーと火をおこすテクノロジーを得ました。梃子とコロで運搬移動のテクノロジーを得ました。羅針盤で航海技術を得ました。活版印刷技術で情報伝達のテクノロジーを得ました。蒸気機関と内燃機関で移動、大量生産、運搬のテクノロジーを得ました。核分裂、核融合で桁違いのエネルギーを得ました。インターネットで革新的な情報伝達テクノロジーを得ました。そして人工知能テクノロジーの領域に人類は手を伸ばしはじめました。これらのテクノロジー進化が人類にもたらしたものは、アンガス・マディソンという経済学者によれば、人類の一人当たりのGDPは西暦元年には400ドルで、これは西暦1000年まで変わらず、西暦1820年になっても600ドルに達したにすぎませんでした。ところがそれ以降劇的な経済成長が実現し、20世紀末には6000ドルを超える(10倍!)に至ったとのことです。
近代が人類にもたらしたものは、人権、平等、自由、衣食住における貧困を基本的に克服したことと云えます。蒸気機関や内燃機関を発明して以降200年足らずの間にGDPが10倍になったことは、人類のGDP歴史年表で200年前までは緩やかな右肩上がりだったのが、以降200年間に急激な右肩上がりとなり、特に西暦1964年東京オリンピック以降50年間のテクノロジーは、人類史上経験したことのない常軌を逸した進化であり、現在も、その渦中に僕たち日本人は置かれていると云う事実です。
この常軌を逸したテクノロジーの進化に、生身の人間は適応できるのでしょうか?僕は、適応出来ないと考えます。それが様々な現象として社会に顕在化していると思います。例えば宇宙ロケットが大気圏外に飛び立つ時、宇宙飛行士に物凄いGがかかります。僕は、テクノロジーの急激な進化にも同様のGが全ての人々にかかると考えます。そして、この場合Gとは「ストレス」です。
不幸なことに平成の30年間は、常軌を逸したテクノロジーの進化に反比例して経済活動が停滞し、大多数の人々の所得が減額していったことです。日本人は昭和後期~平成~令和にかけて、新自由主義経済と云う、欧米が定めた自由競争ルールを軌道とするジェットコースターに乗せられ翻弄され続けています。
1964年の東京オリンピックの頃から、日本の高度経済成長が始まります。日本を牽引した世代が、現在80歳前後の方々です。この世代が被ったストレスは、想像に絶すると思います。この方々の2世が現在50歳前後です。8050問題の背景には、テクノロジーの急激な進化と平成30年間の停滞した経済活動を被った核家族の悲劇があると考えます。まもなく2025問題(団塊の世代が後期高齢者となる)に突入します。大量の団塊の世代後期高齢者により、2025年以降10年で介護保険の資金は底を尽き、崩壊の淵に立ちます。
未曾有の社会の急激な進化によるストレスは、人々の精神に傷を残しました。僕は、統合失調症、双極性障害、認知症は、ストレスが元凶と考えます。
特に、1964年の東京オリンピック以降に日本を牽引した世代(男女とも)に、精神疾患と認知症を重複するであろう方々が潜在的に存在すると推測します。具体的には、2019年現在での後期高齢者の若年層(75歳から80歳前後)、及び前期高齢者層です。
自国第一主義の潮流の中、自由競争が人権と平等を侵食しています。テクノロジーは自由競争の土壌の中で進化してきたと考えます。近代知(例えば、平等と自由の両立)は矛盾を抱えています。近代知の肝は『人権思想に立脚した平等と自由のバランス』と捉えてきましたが、2019年現在では『自由が人権と平等を保障しなければ、人権と平等が侵食に晒される』と、僕は考えます。仮に、格差は否定されるべきものでないとしましょう。しかし、持てざる者と持てる者との格差は、持てざる者のルサンチマンの矛先が持てる者へ向けられ、結果、社会不安が益々拡大深化すると考えます。
先進国の民は今、テクノロジーの進化により便利さとストレスの飽和状態に身を置いています。一人一人が自分の暮らしを見渡して、出来ることから始める必要があります。先進国の民が率先して過度な便利さを放棄しなければ、ストレスによる亡国を回避することはできないでしょう。