ロング・インタビュー 第6回
介護現場から問い直す支援のあり方
社会福祉士 佐藤 信行
力関係が働いていることの自覚を持つこと
山田 福祉の現場で働く前、私は学校の教員をしていたのですが、「教師は『権力』を持っている」という悩みがありました。いくら生徒たちと仲の良い関係を築いたとしても、言い換えれば、自分が生徒たちにとって物分かりのいい「良心的教師」であったとしても、教師は生徒に対して「権力関係」があり、「教師と生徒は対等なのだ」と安直に理想を振りかざしても、教師の「権力性」から逃れたことにはならないということを感じてきたのです。教師は生徒に対して圧倒的に「力」があり、教師は教師であるかぎり、その「力」を廃棄することができないと考えながら、学校現場で仕事をしてきたといっていいでしょう。こう考えながら教師をし続けることは、実はきつく、つらいことなのですが、一方で、教師の「権力性」を自覚してきたことによって、生徒たちの内面を土足で踏み込むこともしなかったですし、生徒にとって教師という存在が影響されやすい「力」を持っているという自覚があったからこそ、教師の「権力性」を相対化することもできたのです。学校現場でセクハラやパワハラが起こるのは、それは、教師が自らの「権力性」を自覚していない証拠なのですね。私は教師という職業を辞めてから福祉の現場に転職しましたが、当初は、教師の立場と比較して、支援者の立場の方が「権力性」が少ないと思っていました。しかし、それは思い違いだということがすぐにわかったのです。教師は生徒に対して処分権や評価権を持っており、圧倒的に「力」があります。一方、支援者は支援する人を処分したり評価したりする存在ではないから、悪しき「力」が働いていないと思っていました。しかし、全然そんなことはない。圧倒的に「優位な立場」で利用者さんに接しているのですね。私は、支援者のそうした「権力性」に無自覚な人こそ、危険だと思っていますし、犯罪的だとさえ感じています。そうした「権力性」を自覚して利用者さんと接しているかで、支援者のありようが変ってくると感じているのですが、佐藤さんは、介護の現場でご自身の「力関係」を感じられることはございますか。
佐藤 権力性の自覚をしていない職員は存在します。そして、大抵その様な職員が施設を牛耳っています。その愚行は「威嚇、抑制、心理的虐待」と表現できます。その者たちが改心することはありません。故に、就業規則や倫理綱領に照らし合わせて処理すべきと考えます。
福祉の支援者は「力」を有しています。それを、勘違いして利用者を虐げる支援者も存在します。しかし、それは支援者の心の弱さが成すことです。厳しいことを言えば、福祉は適性が求められる仕事です。不適性な人物は就いてはいけない仕事です。しかし残念ながら、現場では支援者や介護者の絶対数が足りないので不適性な人物を駆逐するどころか、むしろ戦力として大勢雇用しています。悲しいことですが、これは「力関係が働いていることの自覚」以前の問題で、将来もこの現象が改まることは無いと考えます。しかし、もし、対策があるとしたら、誤って不適性な人物を雇用してしまった時、先ほど言いましたように、就業規則や倫理綱領に照らし合わせて合法的に不適性な人物を駆逐することです。
支援者が持つ「力」の発動は、利用者を守るためであり、「権力性」とは大切なものを守るためのみに発動されるべきと考えます。私は、支援者が「力」を有することを否定的に捉えていません。むしろ利用者を守るために、支援者は利用者を害する存在、仮にそれが利用者の親に対しても発動されるべきと考えます。大切なことは「力」の使い方です。力なき正義は無力であり、正義なき力は暴力である訳です。
続く
ロング・インタビュー 第5回
介護現場から問い直す支援のあり方
社会福祉士 佐藤 信行
「真に強いもの」とは
山田 佐藤さんは「居心地のよく過ごす最善の方法」は「他者の価値を尊ぶこと」であり、「そうすれば他者から自分の価値を尊ばれます」と言われました。この考え方は、非常に重要だと思いますね。介護現場だけでなく、障がい者の現場でも同じことが言えますが、実はこれがなかなか難しいですね。とりわけ、支援者側が利用者さんに対しての敬意が見られないことが、いろんな現場を見てきて感じることです。「支援者・利用者」という関係そのものが支援者側を誤解させてしまっているのではないかと思うのです。つまり、支援者は障がい者をお世話する側にあり、いつも優位に立っていると勘違いしてしまう。これはいけない考え方で、私たちはこうした関係を乗り越えていかなければと思っています。私たちのグループホームはそうならないために、できるだけ言葉遣いを丁寧に、そしてつねに感謝の言葉を伝えていく姿勢をもつよう心掛けています。それに、私たちのグループホームでは「お互い様」という考え方を大切にしています。毎日、私たちがグループホームを運営できているのは利用者さんがいらっしゃるからこそであり、だからこそ入居者の方々に心から感謝することができるのだと思うのです。私も入居者の方々に生かされているのだと考えれば、「優位に立つ」という関係も生じないわけです。障がいがある・なしにかかわらず、人間は不完全な生き物ですから、お互いを補い合える関係をつくることができれば、本当にすばらしいグループホームになりますね。その点は、いかがですか。
佐藤 他者に敬意をもって接するには、先ず自分が満たされていることが前提条件です。
「障がい」は誰でも起こり得る、だからこそ「お互い様」の考えで
山田 「真に強いものは他者より優位に立とうという気持ちを抱かないもの」という佐藤さんの言葉は、本当にそうですね。「真に強いもの」は人にやさしくなれると思います。今のお話と延長線上に「お互い様」という言葉があります。「お互い様」という言葉から少し発展して話を進めてみたいと思います。いつ何時、私が障がいを持つか誰にもわかりません。過重な労働を強いられたり、ハラスメントを受けたり、職場の人間関係で過度のストレスを感じることもあるでしょう。そのことが原因で精神疾患になることもあるわけです。とりわけ、精神障がいは誰でもなり得る障がいだと私は思っています。だから、本来、「障がい」というのは私たちの身近な存在であるはずです。にもかかわらず、「私は健常者で、あの人は障がい者だ」と区別しがちですね。私たちに身近なはずの「障がい」が身近になっていないばかりか、差別の対象すらなっていることに私は違和感を覚えています。そこに大きな壁がいつも存在している気がするのです。「障がい」が私たちに身近な存在だと思っていれば、障害のあるなしにかかわらず、誰に対してもやさしくなれますし、「お互い様」の考えで「助け合う関係」が生まれるはずなのですね。高齢者介護の現場ですが、すべての人たちは、いずれ老いるわけです。今は支援の側にいる人も数十年後は必ず介護される側に立つでしょう。そう考えれば「お互い様」なのじゃないかって思うのですが、いかがですか。
佐藤 人は、無意識に自分より下位な立場にいる者の存在を認識することで心に安らぎを得ようとする弱い生きものです。かつては、
続く
ロング・インタビュー 第4回
介護現場から問い直す支援のあり方
社会福祉士 佐藤 信行
ありがとうは魔法の言葉
山田 佐藤さんは「両親は、私が今まで出会ったクライアントの中で最も手強い相手」であり、「介護は、他人に任せるのが一番」だと言っています。結構、これは重要なことを言われている気がします。もちろん、それは介護の現場だけでなく、かつて私がかかわったことのある不登校生徒、ひきこもりの若者、精神障がい者、などのご家族が相談に来られ、自分の息子あるいは娘、兄弟姉妹などのかかわりに嘆いてらっしゃっていました。家族や兄弟姉妹だからこそ、距離間が近すぎてかかわることが難しい、と。人にかかわりを依頼したいのだけれど、自分たちで抱え込んでしまうか、家族の内情を知れてしまうため、依頼することを躊躇し、諸問題が長期化してしまうことが多いと言いますね。その点の難しさについてお話をいただけませんか。
佐藤 親の介護は、
不登校の問題については、一つの処方として「「他人様の飯を食う環境に身を置く」のが最善と考えます。
山田 私たちの運営する障がい者グループホームは定員4名の小規模なグループホームです。佐藤さんが勤務なさっているグループホームよりも小規模運営なのですが、佐藤さんが以前に「ありがとうは魔法の言葉」という文章の中で、「少人数集団のグループホームは、相性が悪い相手からの逃げ場がありません」と書かれています。したがって、佐藤さんの言われるように、グループホームの「場が負の関係性に支配されることを極力避けなければな」らないのですが、「負の関係性」から「良い距離間」をつくることを可能にする魔法の言葉として「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えることを提案されています。これは、私も同感ですし、私も現場で非常に大切にしていることですね。もう少しお話をしていただけませんか。
居心地よく過ごす最善の方法
佐藤 共同生活は、文化の違う者が一つ屋根の下で食住を共に営むことです。
情は人のためならずです。
続く
ロング・インタビュー 第3回
介護現場から問い直す支援のあり方
社会福祉士 佐藤 信行
利用者さんは職員の心を映す鏡です
山田 佐藤さんは、グループホームの入居者の方々の「不穏の原因は、職員」であり、「入居者様が拒否するのは、職員がその方を拒否しているのであり、入居者様が不穏なのは、職員の心が穏やかでないから」だと言われました。かつて佐藤さんは「利用者さんは職員の心を映す鏡です」という文章を書かれています。その文章の中で、「私は拒否が想定される場面に遭遇する時に心がけている」こととして、次の比喩で説明されていました。「『心の中に水を満たしたコップを置き、コップの縁から水がこぼれないようイメージしながら意識をコップに集中させること』です。自分の胸中の動揺が相手に伝わるならば平常心を保つために『心の中に波風が立たないように』とコップを水平に保つ意識を集中させる」と言っています。そうすると、「不思議なことに拒否は無くな」る、と。佐藤さんの独特な表現ですが、もう少し説明していただけますでしょうか。
佐藤 私が語ることは、私の経験により検証したものです。故に、
辛い場面に遭遇したCさん
山田 ところで、先日、あるテレビのニュース番組で「介護現場」の場面を観ました。ある認知症高齢者(男性)がデイサービスに行って、「ハーモニカを忘れた」と不安がっていたのですね。そのハーモニカを伴奏に利用者さんと一緒に歌をうたうので、「家に戻って自分のハーモニカを取りに行きたい」と言うのです。支援者は「外は雪で積もっているから、歩くの大変ですよ。忘れてしまったんだから、仕方がないですよ。伴奏なしで歌うこともできますから。安心してくださいね」とやさしく言葉かけをします。しかし、その男性の認知症高齢者の方は手元に自分のハーモニカがないことが不安で、だんだんとイライラし、「おばあちゃん(本当は自分の妻)、ハーモニカを取りに行く」と言ってきかないのです。そんな時に、ある若い男性の支援員の方が「それじゃ、私も一緒に行きますから、取りに行きましょうね」と言って、積もった雪の中ですが、駐車場まで一緒に歩いていきます。そして、車の中に入り、しばらく認知症高齢者の方と支援員で話をしているうちに、気持ちが落ち着いてきて、自分の家までハーモニカを取りに行かないで、施設に戻ります。その間に男性のご家族がハーモニカを持ってきてくれて、一見落着になります。私はこの場面を観て、何かを考えさせられたのですが、佐藤さんはおそらくこうした場面は、かたちを変えていろんな場面に出くわすのだと思います。佐藤さんはこの場面で何か感じることがありますか。あるいは似たようなことがあれば、お話をしていただけると嬉しいです。
佐藤 「太陽と北風」の逸話ですね。元JAICA 職員のC
さんのケースです。C さんと一緒に買い物にでかけた職員から、
Cさんは、現役時代にルワンダに居ました。
最も手強い相手
山田 佐藤さんは認知症高齢者のグループホームで勤務なさって、いろんなタイプの方々と接してこられていると思います。一方で、これもホームページの「会員寄稿欄」でご両親の介護について書かれていらっしゃいますね。お父様に対する励ましや、距離の取り方も絶妙で、勉強になることが多いです。ただ、率直に、グループホームで接するスタンスと、ご両親の介護するスタンスとでは、距離感も踏め、まったく違うところがあると思います。その点はいかかですか。お話ができる範囲で構いませんので、お話をしていただけると助かります。
佐藤 両親は、私が今まで出会ったクライアントの中で最も手強い相手です。
続く
ロング・インタビュー 第2回
介護現場から問い直す支援のあり方
社会福祉士 佐藤 信行
観察には「五感」が必要
山田 先ほど佐藤さんは「観察で大切なことは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚そして直感」と言われました。これは、観察には「五感」が必要だと言うことなのだと思います。佐藤さんは、それにもう一つ「直感」を加えていますので、「六感」なのでしょうが、「五感」について言えば、哲学者の中村雄二郎という人は『共通感覚論』という本を書いています。「共通感覚」を英語で「コモン・センス」と言います。「コモン・センス」は「常識」と訳されることが多いですが、中村雄二郎は「常識」よりも「共通感覚」の意義について言及しているのです。「共通感覚」の意味を説明する際、「五感」についてふれています。中村雄二郎は「五感」をバラバラにしないで複合的に組み合わせ、統合すること、それが「知覚」であり、そのことこそが「常識」なのだと論じているわけです。ちなみに、難解な哲学者として知られているカントは「共通感覚とは、他のすべての人々のことを顧慮し、他者の立場に自己をおく立場のこと」だと述べています。佐藤さんは「五感」にふれ、それを「目に映らない本質を捉える感覚」と言っています。「五感」を複合的に組み合わせ、統合する力を持つということは、「目に映らない本質」どころか、人とのかかわりにおいてきわめて個別具体的なことだとさえ言えると思います。つまり、利用者さんとかかわるという行為は「共通感覚」なしにあり得ないということなのですね。なぜなら、利用者さんと向き合う際、「他者の立場に自己」をおかないとかかわることができませんからね。佐藤さんの話をお聴きして、そんなことを考えました。ちなみに、佐藤さんは「五感」の他に「直感」を加えていますが、これはどういうことを意味しているのでしょうか。佐藤さんと同じ意味かはわかりませんが、私も支援をする際、「直感」を大切にしています。「直感」というのはたんなる感覚で捉えることではなく、「経験」から培われていくものだからです。「直感」という言葉を少し深めてみたいと思いますが、いかかでしょうか。
素直に直感に従います
佐藤 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触感のことを、
沢山の何故を一つ一つ紐解く時
山田 佐藤さんとお話をしていると、話されている言葉から「よく本を読まれている人だなあ」と感じます。「本を読むこと」ができる人は、社会や実践のありよう、あるいは利用者さんの困り感や悩みを言語化できる人なのだと思います。さきほど、佐藤さんは「あらゆる社会問題(悪)は、立場の弱い者が最も被害を被るからです。故に、もし善を行いたければ、社会問題(悪)の仕組みを知らねばなりません。何故、目の前の人が苦しんでいるのか?社会を時空を超えて俯瞰することで初めて問題が可視化されます」と言われました。物事を言葉で対象化することができなければ、弱い立場の人たちがどのような社会的構造の中で被害を被っているのかわかりませんね。弱い立場の人たちが抱えている諸問題を可視化するためには、当たり前だと思っていることを疑い、「括弧に入れ」ないとその構造は見えてこないのです。ただそれは感覚的に捉えているだけでは本当の意味でわからないわけで、常日頃からある事象を言語化する作業が必要になってきます。でも、それは、支援現場から観ているだけではなかなか対象化できないし、可視化できないと思うのです。可視化というのは、被害を被っている他者に対して諸問題を可視化することになるわけですから、言葉が必要ですね。だから、支援者は現場の中だけで埋没をしてはいけない。私はいつもそう思っています。佐藤さんはその点についてどう考えますか。
佐藤 大切なことは目の前に居るその方が、
山田 ところで、佐藤さんは認知症高齢者のグループホームで働いてらっしゃいます。利用者さん一人ひとりタイプは違うと思うのですが、利用者さんが生活の場を通してどのような場面で不安になったり困ったりする状況になりますか。また、そうした状況の際に安心していただくために、どうかかわってらっしゃるのかを教えていただけませんか。お話ができる範囲でよいので、具体的にお話をしていただけると勉強になるのですが。
佐藤 入居者様の不穏の原因は、職員です。入居者様が拒否するのは、職員がその方を拒否しているのであり、入居者様が不穏なのは、職員の心が穏やかでないからです。
続く
ロング・インタビュー 第1回
介護現場から問い直す支援のあり方
社会福祉士 佐藤 信行
山田育男 今回から当法人の正会員、あるいは支援現場に立たれている方々にいろんな視点でお話をお聴きしたいと思いまして、インタビューの企画を立てることにいたしました。
当法人の正会員の方々には、小学校・中学校・高校・大学で教師をされている(た)方々や、高齢者の介護現場で働いている方、障がい者の支援にかかわっている(た)方、あるいは生活困窮を強いられている人に対する支援をされている(た)方々、など、様々な分野でご活躍なさっていらっしゃいます。
現在、当法人は障がい者のグループホームを運営していますが、ややもすれば、障がい福祉の現場だけに閉じこもり、様々な視点で物事を考えられなくなってしまいがちです。その点、私たち法人の正会員の方々は多岐にわたっていろんなことをなさっている方々の集まりですから、支援現場では気付かない諸問題や視点、あるいは、人とかかわる際のものの見方、感じ方、考え方、捉え方など、非常に学ぶ視点がたくさんあると考えています。
そうした観点から、当法人の運営するホームページ及びブログでは正会員の方々に現場などのことについて寄稿していただき、支援のあり方及び考え方を再認識させられることが多々あります。それに、直接イベントや会議等でお会いした際、私たちの現場で見落としている問題などにご意見をいっていただける環境があって、非常に助かっています。
本日は、ホームページ及びブログなどで頻繁に文章をお書きになってらっしゃる佐藤信行さんに様々な視点で話をお聴きできれば幸いです。
佐藤さん、よろしくお願い致します。
佐藤信行 こちらこそ、よろしくお願い致します。
山田 佐藤さんは、現在、どのような支援の現場で働いていらっしゃいますか。佐藤さんの自己紹介も兼ねて、お話をしていただければと思います。
佐藤 私の勤務先は、認知症高齢者グループホームです。
山田 たしか佐藤さんは障がい福祉の現場でも働いていたご経験があるかと思いますが、現在の介護現場と障がい福祉の現場での違いというのがあれば教えていただけますでしょうか。もちろん、違いよりも同じだと思える点もあるかと思います。率直に佐藤さんのお考えをお聴きできればと思うのですが。
佐藤 障がい者支援と認知症高齢者介護の違いは「尊重し、エンパワーメントを保障する」意味において違いはありません。
山田 佐藤さんは支援のことについてだけでなく、支援とは遠く離れた分野に非常に関心を持たれていらっしゃいます。たとえば、それを非常に感じるのは、ホームページに「歴史を学ぶ」や「シュタイナーの人智学」、「風が吹けば桶屋が儲かる」などの連載を寄稿されており、物事を考える思想のようなものがあって、そこから社会をどう捉えていくかということを大切にしていらっしゃるように感じます。その点はいかかですか。
佐藤 私にとって「障がい者支援」「介護」「歴史から学ぶ」「
山田 佐藤さんはかつて「利用者さんは職員の心を映す鏡です」というすばらしい文章をお書きになっています。佐藤さんは利用者さんをよく観てらっしゃるなあというのが正直な感想でした。観るという行為は、行為する佐藤さんの視点があるから「観える」のだろうと思います。つねにそうした「視点」ということを常日頃からから大切にされているなあという印象なんですね。そうした「視点」に磨きをかけていくために、常日頃からどのようなことをなさっていますか。
佐藤 観察で大切なことは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触感そして直感です。目に映らない本質を捉える感覚です。
続く