一日暮らし 第6回 ~なぜ人は悩むのか~(承前)
理事長 山田 育男
ただ、ここで言う「一つになる」ということは、どちらかの一つをとるということではなく、あえて言えば「一つにまとめる」といったほうがよいでしょうか。ただし、折衷することではありません。仏教用語では「不二」「即」「一如」と言います。このことについては、ロボット工学者の森政弘が『仏教新論』の中で、「二元性一原論」という独自の用語(「二元性一原論」は、森が後藤栄山老師から教えられた言葉)で詳細に論じています。森政弘はロボットコンテストの創始者であり、ロボット工学のパイオニアとして知られています。ちなみに、森政弘は仏教哲学を科学の研究や開発に活かしていくことによって技術が人間の幸せにつながっていくと考える稀有な人です。
ところで、森政弘の『仏教新論』はいかに「仏教ならびに仏法」において「一つ」が大切にされているかを示すことを目的として書かれた本です。
たとえば、森政弘は、「仏典」は、「相異なり対立した『二つ』の概念があり、それが合一して『一つ』に融合する点にこそ核心があ」り、「仏典ではそこに『即』の一字を配している」という。この「『二つ』から『一つ』への合一は、理性による判断では不可能である。そこには豊かな感性を必要とする」と森は考えます(前掲書)。
森は、大乗仏教の究極を示す言葉に「煩悩即菩提」を例に挙げて説明しています。「煩悩」は悟りの妨げとなるハタラキであり、「菩提」は悟りのことを意味します。つまり、ここでは、正反対の二元が「即」で結ばれ、一原に「融合」しています。悟りを妨げる煩悩も真理の現われであり、煩悩を離れて悟りはないというのです。また、森は、道元禅師の『正法眼蔵』の「生死」巻の例を挙げ、「生死」は「一つ」になるように書かれていると言っています。道元禅師は、死を嫌っていけないし、望んでもいけない、生も真理の現われ、死も真理の現われであると言います。この時、「生死」は「一つ」になります。これを「生死一如」と呼びます。
以上の例からもわかるように、森は「仏教では、何事も『一つ』にまとめて衆生を救おうとしている」と考えます。
ただし、森政弘は「二元性一原論」を何も仏教ならびに仏法のみで説明をしようとはしません、森がユニークなのは、私たちが日常生活の中で行っている個別具体的な事柄が、実は、「二元性一原論」で成り立っていることを読み解いているところなのです。
たとえば、本田技研の初代社長の本田宗一郎は、森政弘に自動車のアクセルとブレーキについて以下のように質問したと言います。
走るには → アクセル
止まるには → ブレーキ
「これでいいか?」と本田が問い、森は「これでよろしい」応えると、本田に叱られたというのです。本田は「アクセルで走るのなら、あそこに停めてある私の車のブレーキをはずしてやるから、それを乗って走ってこい」と言われ、森は「そうか! なるほど、走るのにもブレーキが要る」ということに気がつき、「ブレーキなしでは危なくて走れない」と考え直したと言います。逆にまた、森は「車を停車するには『アクセル』が必要だ」とも気が付きます。つまり、車庫に入れるためには、まずアクセルで車を走らせる必要がある、と。
「走るにしても、止めるにしても、アクセルとブレーキという互いに正反対のハラキをする二つが不可欠であり、さらにその二つをけんかさせずに協調させることが必要なのである。」(前掲書)
森政弘によれば、走るにしても、安全に走るという意味ではカッコつきの「走」と言います。同じことがカッコつきの「止」でも言えます。ここで言うカッコのない走る・止まるは対立概念で、カッコつきの「走」「止」は一原を意味します。「一原」は、走る・止まるの間にある考え方です。森によれば、「走」「止」は、止揚したものを言います。仏教用語で言えば、「走即止」となります。森政弘は、「一つの物事をスムーズに運ぶためには、まず第一にプラス要因とマイナス要因との両方が必要であり、第二には、その両方をけんかさせるのではなく「一つ」に溶け合わせ、協調するように運営すること」だと言います。
森は、二元対立の束縛から解放するためには、理性というものを超えなればならないと言っています。それは「直覚」あるいは「直観」という考え方です。仏教では「即」という文字を当てています。さきほどの例では「走即止」の「即」ですね。
「この即こそは、『異なるものは同じだ』という無分別を表すもので、二元対立からの解放なのである。」(前掲書)
森政弘は、「即」という字は、「膨大な仏典の中で、最も重要な一字であり、人類が到達し得た金字塔の頂点に位する文字である」と言っています。
だが、森は、「二元性一原論」や「即」は、理性による論理では理解し難く、感性によってはじめて納得できることを強調しています。
以上、これまで「一つにまとめる」ことについて肯定的に考えてきましたが、森は、その考え方をもう一度問い直そうとします。
「『一つ』が重要であると強調すると、われわれは、『二つ』に分けることはだめだと思う傾向に陥るのである。(略)「一つ」が大切で、「二つ」はだめだと、著者は長々と力説してきたではないかと、いぶかられるだろう。じつはそこが問題なのである。」(前掲書)
続く
一日暮らし 第6回 ~なぜ人は悩むのか~(承前)
理事長 山田 育男
鈴木大拙の話を聴いて、想い出したことがあります。それは、大福寺の住職・太田浩史の話です。太田浩史はかつて中学生時代の恋愛などの悩みについて振り返り、「今思うと、ぼくは『二』で悩んでいた」ということを語っていました。太田浩史の言う「二」の話は、鈴木大拙の言う「意識」のことと通底するのではないかと思うのです。
NHK・Eテレ『こころの時代 ~宗教・人生~』の中の「かわいい民藝・救いの美」という放送で、住職の太田浩史は「二」の具体的な話を以下のように話されました。
「中学校の時、二泊三日の合宿に行ったんです。そうしたら集中豪雨で、道が全部崩れ落ちて、2週間以上閉じ込められたことがあります。自分らもう生きて帰れないんじゃないかというような気分になっていたところ、そういう中で一人の女性(同級生)に一目ぼれしたというか。それが今から思えば『二』との出会いなんです。つまり、相手と自分とか、『生』と『死』とかいろんなものを二つに分けてどれかにこだわっているという。その『二』というものを感じた途端にすべてが整わなくなるんですよ。バランスがくずれるわけ。自分の中に二つの願望があったんですよ。みんなと同じになりたいという願望と、それから、自分の個性の中で独立した人間になりたいという願望。これ、矛盾しているんですよね。うまく辻褄があわないんですよ。非常に落ち込みまして、引きこもりみたいになったんです。」
岡本美穂子は太田浩史と同じように、「二」について言及します。
「意識というのは、1点をみて、焦点があったものしかみえない。これは、つまり、「自己中心的な考え方」なんです。意識は、自分の都合のよいことしか考えない。それが意識の働きなんだと大拙先生は言っています。
現実に起こっている出来事と、自分の持っている問題の悩みがうまく調和できません。だから、悩みが生まれるのです。これは宗教の大事なところですね。
意識が問題なのは、相対的にものをみることなのです。
自我もそう。私とあなた、私はあなたではないですね。
しかし、そういう前の次元というか、本来の、無分別の次元、仏教用語で言えば、二元性ですね。つまり、この前に「一」がある。「相対」が悪いのは、そこから「対立」が起きる。「相対」は2つに分かれるから、「対立」が起きるということはケンカが起こること。つまり、物を考えるということは、2つに分かれる状態なのです。」(「大拙先生とわたし」)
住職の太田浩史や岡田美穂子が言っていることは、とりもなおさず、人が悩む時は、必ず「二」になっているということです。仏教の主眼目は、悩みを超えることにあります。そのためには、「二つになること」をどうにかしなければなりません。つまり、悩みをなくすには、「一つ」になっていく必要があるということなのです。そうすれば、対立も摩擦も、言い争いもなくなり、悩みはなくなるのです。
ただ、ここで言う「一つになる」ということは、どちらかの一つをとるということではなく、あえて言えば「一つにまとめる」といったほうがよいでしょうか。ただし、折衷することではありません。仏教用語では「不二」「即」「一如」と言います。このことについては、ロボット工学者の森政弘が『仏教新論』の中で、「二元性一原論」という独自の用語で詳細に論じています。とても重要なことですので、少し長くなりますが、以下に説明したいと思います。(続く)
一日暮らし 第6回
~なぜ人は悩むのか~
理事長 山田 育男
先日、NHK・Eテレ『こころの時代 ~宗教・人生~』の中で、「大拙先生とわたし」という番組があり、大変興味深く観ました。話し手は、15歳の頃に世界的な仏教哲学者の鈴木大拙に出会い、晩年の鈴木大拙と行動を共にされた岡本美穂子でした(以下、敬称略)。
※上の写真は、松本民藝館所蔵のダルマの木彫です。
鈴木大拙については、以前から『日本的霊性』『妙好人』『禅堂の修行と生活・禅の世界』などの著作にふれていただけではありません。私の尊敬する柳宗悦の師でもあり、鈴木大拙の禅の思想、人柄にも敬意を表してきました。その方の秘書をされた岡本美穂子の話はきわめて含蓄があり、学ぶことが多かったです。
すべてを語ることはできませんので、さしあたってここでは、鈴木大拙の語る「無」がどういうことなのかを書きたいと思います。
岡本美穂子は、鈴木大拙の傍で、仏教に関する様々なことを教えてもらったようですが、出会い当初の15歳頃は、生きるうえでの様々な悩みを抱えていたこともあって、鈴木大拙に悩みを相談されたとのことでした。真剣に悩みを語る岡本美穂子に対して、鈴木大拙はこう言ったそうです。
「もともと、何もないんだよ。何もないんだから、次元をかえなさい」
つまり、鈴木大拙は「無(nothingness)」とはどういうことなのかを話されたのです。
岡本美穂子が鈴木大拙から話されたことをメモ書きしておいたので、以下に簡単に整理したいと思います(もちろん、ここでの鈴木大拙の語りは、岡本美穂子の(鈴木大拙がこう考えていたであろうという)解釈が加わっていることをあらかじめお伝えしておきます)。
岡本美穂子は鈴木大拙に問いかけます。
「どうして仏が必要なんですか。なぜ人間は宗教を必要とするのですか。私たちはどうして仏や神を求めなければいけないのですか」
鈴木大拙は「人間は業でな」と応え、さらに続けます。
「人間は他の生き物よりも一足先に進化が起こった。何に進化したのか。それは、他の生き物にないものだ。人間だけがあるものとは何か。それは『意識』というものができたんだ。人間は『意識』に目覚めたんだ。
では、『意識』とは何か。それは、人間の『業』だ。
もちろん、『意識』は素晴らしい力だ。科学も『意識』の産物。私たちの言葉も、物を考えることも全部、『意識』の次元だ。
物事を捉えるということは、こっちからこっちへ捉える。つまり、理解するんだ。それができるということは、素晴らしいことなんだけれど、一つだけ困ったことができたんだ。他の生物はブレないんだけれど、人間だけはブレてしまった。離れてしまって、離れたことによって、私たちは悩んでしまう。つまり、何かがはじまってしまう。
物を主観と客観に分けることが『意識』なんだ。主観がここにあって、客観はあそこにある。つまり、主観と客観が分かれるということは、2点できるということだ。2点あることによって、つかむこともできるし、わかるということもできる。人間の脳みそもあっちいったりこっちいたりして、2つに分かれているに違いない。それがどうしていけないのか。物が2つに分かれるということは、『1つであったことがある』ということ。『その前がある』ということなんだ。要するに、『本来がある』、『大本がある』んだ。
私たちには『大本』が動いている。人間は、そこを見失ったんだ。
人間は2つあると、迷うんだよ。
どっちへ行こうか。右か左か、白か黒か、善か悪か、上か下か、前と後。全部2つあって、意識というものが動いている。私たちは24時間、意識の枠の中で、動いている。だから、『大本』が見えなくなってしまう。
つまり、私たちは『仏』なんだけれども、『仏』であることが見えなくなる、わからなくなる、わかりにくくなる。」
鈴木大拙は以上のことを説明してくれたというのです。
鈴木大拙の話を聴いて、想い出したことがあります。それは、大福寺の住職・太田浩史の話です。太田浩史はかつて中学生時代の恋愛の悩みについて振り返り、「今思うと、ぼくは『二』で悩んでいた」ということを語っていました。太田浩史の言う「二」の話は、鈴木大拙の言う「意識」のことと通底するのではないかと思うのです。岡本美穂子はその後、「二」について言及します(続く)。
一日暮らし 第五回
「福は内、鬼は外」
2021年の節分は、2月2日(火)でした。節分の日と言えば、2月3日というイメージを持たれている方もいるでしょうが、立春がいつかによって節分の日も変わってきます。今年はその稀な日でした。
私たちのグループホームではなるべく季節感を味わっていただくため、入居者と一緒に「豆まき」を行います。
今年はCさんが縁パワーの代表として豆まきをしていただきました。
昨年の節分には用事があって不在だったため、Cさんはグループホームでの豆まきははじめてでした。
夕食前に玄関に来ていただいて、まず、私から「福は内、鬼は外」と実演させていただきました。
Cさんと一緒に「福は内!」と声を合わせ、豆まきをしましたら、
「福は内! 福は内! 福は内!」
と、「鬼は外」の掛け声がありません。どうやら「福は内」が好きなようで、最初から最後まで「福は内! 福は内! 福は内!」の繰り返しでしたが、「まあ、こういう言い方はCさんらしいね」と副理事長と私は納得し、Cさんに向かって、「豆まき、とても上手でしたよ」と伝えると、「上手! 上手!」と言って喜ばれました。
Cさんの掛け声のように、今年もグループホームに「福」が来ていただきたいですね。
ところで、本来、「節分」とは季節を分ける、つまり、「季節が移り変わる節日」を指します。したがって、1年に4回(立春・立夏・立秋・立冬の前日)あったものでしたが、日本では、立春を1年のはじまりである新年と考えますので、その前日の大晦日に行うようになったようです。平安時代には大晦日に旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事が行われ、室町時代以降から豆をまいて悪い鬼を追い出す行事へと発展したと言われています。
ご存じのように、節分は邪気を追い払い、1年の無病息災を願う意味合いがあって、「豆をまく」そうなのです。「豆」とは「魔の目」のことですね。つまり、「魔の目」を鬼の目に投げつけて、「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。
※ちなみに、柳田國男監修の『民俗学事典』によれば、「節分」についてこう書かれています。
「節替りというのは古い名らしく、旧暦では閏年以外は元日から七日正月までの間にこの日の来ることが多かった。このため他の行事と混じて、本来の節分行事が何であったのかはっきりしていない。しかし、現在この日に行われる行事には、主として邪霊災厄を防ぐ呪術的なものが多い。戸口に鰯の頭と柊の枝をさす風は全国的で、(中略)大豆を炒り、唱えごとをして室内に撒きちらし、鬼を打つ行事は社寺では追儺として行われ、主として都市を中心にひろまったが、各地の伝承では大晦日、煤払いの日、七日正月などにも豆撒き行事がある。必ずしも節分に限らず、新しい季節を迎えるに当たって邪気をはらう一つの方式であったことがわかる。節分にも厄落しをする習わしが広い。」
通常、節分では「福は内、鬼は外」と言って豆をまきますが、地方によっては「福は内、鬼は内」と言うこともあるようです。昔話では「鬼」は「恐ろしい者」の象徴として描かれていますが、民俗学者の柳田國男や折口信夫によれば、「鬼」とは「死者の霊」のことを言うそうですので、「祖霊」を意味していたと言われています。古来の日本人は「祖霊」とのかかわりを重要視していたわけですから、そうした「祖霊」に向かって豆を投げつけるのはいかがなものかという考えからかはわかりませんが、いずれにしても、「福は内、鬼は内」と言って豆をまく仕方があっても理解できるような気がしますね。
ちなみに、柳田國男は「豆まきの起原」を思わせる小湊の小正月前後の行事で「豆のかわほんがほんが/銭も金も飛んで来い/福の神も飛んで来い」という詞を唱えながら、家の周囲に豆をまきちらしたという例を挙げていましたね。
Cさんの「福は内! 福は内! 福は内!」の変則的な言い方も、あながち間違ってはいないのかもしれません。
2021年2月4日
一日暮らし(第四回)
「コロナ禍での誕生日会」
2021年という新たな年を迎えるやいなや、翌週の1月7日(木)の東京都新型コロナウイルス感染者数が2,442名に達し、グループホーム内では緊張が走る一方で、入居者の方々にはコロナの終わりの見えない暮らしに絶望さえ感じられている様子でした。そして、翌日の1/8(金)、政府より「緊急事態宣言」が発出されました。
昨年より新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、グループホームでは入居者全員で食事をとることができなくなりました。小規模型グループホームのため、リビング内でソーシャル・ディスタンスがとれず、入居者全員で食事を交わすことが難しい状況なのです。そこで、感染対策として、リビング派とお部屋派に分かれて一人ひとり個別に食事をとる形式になりました。夕食時にその日の一日の様子を話すことを楽しみにされている入居者にとっては寂しい食事の時間になってしまっています(お話をされたい場合は、別に時間をとってお聴きしています)。非常に残念です。ましてや、「緊急事態宣言」以降に入居者みんなで「誕生日会」等をするなど、到底、難しい状況です。
ところで、1/12(火)はBさんの誕生日でした。いつものように入居者全員で「誕生日会」を開くことはできませんでしたが、誕生日を迎えるBさんにとっては、その日は「かけがえのない日」です。Bさんにとっての「かけがえのない日」をグループホームとしてどう迎えるかというのは非常に大切なことですので、「誕生日」の雰囲気を少しでも味わっていただくために、誕生日ケーキおよび誕生日プレゼントを用意させていただきました。
いつもはケーキに「Bさん誕生日おめでとう」のプレート(チョコ)を付けて、食べていただきます。ただ、今回はコロナ感染対策のため、カットケーキを購入して食べていただくことにしました。また、入居者の方々と一緒に「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」を歌うことになっていますが、リビング内で祝うことができません。できるだけBさんが気持ちよく誕生日を迎えていただくために、入居者のCさんと私が別の部屋から声を出して「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」を歌うことにしました。こんな誕生日会は、はじめてです。
Cさんは障害の関係で歌をうたうことが難しく、私が知る限り、北島三郎「与作」の1曲だけ歌えるのですが、それ以外は聞いたことがありませんでした。したがって、私が大きな声で楽しく歌うよう心掛けました。
すると、驚くことが起きたのです。
私の「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」の後についてきて「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」とCさんが歌いはじめたのです。私は嬉しくなって、「すごい、歌えるんですか?」と聞くと、ニッコリと笑みを浮かべて「歌える、知ってる」と応答されました。Cさんと一緒に「ハッピー・バースデー・ディア・Cさん、ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」と楽しんで歌いきりました。私たちの歌がBさんに届いてくれれば嬉しいなあと思いました。歌い終わった後、Cさんにもケーキを召し上がっていただきました。大好きなケーキを喜んで召し上がっていらっしゃいました。
Bさんには後ほど、誕生日プレゼントをお渡ししました。Bさんは「時々すぐに睡眠がとれないので、アイマスクがほしい」と要望がございました。そのアイマスクをプレゼントさせていただきました。昨年のクリスマス・プレゼントはよく(整体用)眠れる枕でした。今回も睡眠グッズです。喜んでいただけて、本当に良かったです。睡眠グッズは「よく睡眠がとれるとのことで助かっています」とのことで、何よりです。
いつもよりも寂しい誕生日会となりましたが、Bさんの誕生日のおかげで、Cさんが歌をうたう姿を見せてくださり、これはBさんの誕生日がなかったら出会えない瞬間でしたので、Bさんにも感謝ですね。BさんとCさんからプレゼントをいただいた感じです。
Bさん、誕生日おめでとうございます! そして、ありがとうございます!
2021年1月19日
一日暮らし(第三回)
「郷土玩具・期待や願いを込めて」
2021年の干支は、丑(うし)です。毎年、新しい年への期待や願いを込めて、日本全国で「郷土玩具」が作られます。家族の影響もあって、私は郷土玩具がとても好きで、見ているだけで心が癒されるほど愛らしく、12月になると民藝店へ足を運んで気に入った干支の郷土玩具を購入しています。
もちろん、昨年から新型コロナウイルスの感染拡大に伴って民藝店に足を運ぶことが難しくなっており、今年の干支の丑の郷土玩具を手に入れることができず、もどかしい思いです。しかし、今までにも機会があれば購入していたこともあって、いろんな地方の郷土玩具が我が家にはあります。古いものですが、今年も活躍していただいています。
その中の一つが、会津若松の張り子で有名な赤塗りの首振り牛の「赤べこ」です。斎藤良輔の『郷土玩具辞典』によれば、「その昔、岩代地方の悪性の疱瘡(天然痘)流行の際、この玩具を病児に贈ったところ、たちまち快癒したといわれ、疱瘡除けのまじないや子育ての縁起物に用いられた」と言われています。
赤べこの起源は、大同2年(807年)、徳一大師が会津柳津の福満虚空蔵堂を建立する際、逞しい一頭の牛が現れて用材運搬に従い、堂宇完成と同時に石と化して堂前に永らく仕えるようになったという伝説から生まれたそうです。
現在の型と赤塗りは大正末期からとのこと。昨年からの新型コロナウイルスの関係で、アマビエと同様、赤べこが「疫病退散」の役割として大変人気で売れており、品切れのお店もあると言います。
干支の郷土玩具とは異なりますが、昔から栃木県宇都宮市では玄関に「黄ぶな」の張り子を吊るして「無病息災」を祈願した郷土玩具もあります。「その昔、この地方に天然痘が流行した際、金色の鮒(黄船)を病人に供したところ薬効があったという話から、悪病除けのまじないとされるようになった」(同上)と言われています。
赤べこと黄ぶなは表情も型も愛らしく、見ているだけで「ほっこり」してしまいます。今年は両方とも、新型コロナウイルスとの闘いにはなくてはならない郷土玩具になるかもしれませんね。
個人的に干支の丑の郷土玩具で思い出深いのは、船渡張り子の「首振り牛乗り天神」です。思い出深い理由は、この張り子の製作者と私の両親が知り合いで、製作者の松崎久男さん(6代目)が亡くなられた際に譲っていただいた張り子の中の一つに「首振り牛乗り天神」があったからです。当時はそのことを知らなかったため、お会いしたことはありませんでした。今思えば、いろんな話をお聴きしたり作り方を学ぶために見学させていただいたりしたかったので、非常に残念です。現在は、後継者不在ということで、船渡張り子の伝統を引き継いでいる方はいらっしゃらないそうです。達磨も盛んに製作されたとのことで、その達磨はグループホームの玄関に飾らせていただいています。手仕事は後継者がいなくなればそこで終わってしまいます。すばらしい手仕事品が廃れてゆく姿を黙って見ているだけでは惜しい気がします。現物はありますので、機会があれば船渡張り子の再現を自らの手でやってみたいですね。
ところで、船渡張り子は、江戸時代から江東区亀戸天神の参詣土産として売られ、「亀戸張り子」の名で知られていました。しかし、この張り子の生産地は越谷市船渡産です。畑野栄三の『全国郷土玩具ガイド②』によれば、亡くなられた製作者の6代目松崎久男さんは和唐内、弁慶、とうなす鼠、月見達磨大師、牛乗り天神、蛸三番、藤娘、一本足傘、越谷だるま等を作られていました。個人的には「とうなす鼠」は非常にユニークな張り子です。
首振り牛乗り天神は、農耕に必要不可欠な牛を守る意味合いを持った張り子です。本来は、雷雨を齎す天神(あまつかみ)だったのですが、雷と菅原道真が結びついて「学問の神様」になったそうです。受験生だけなく、新型コロナウイルスで外出自粛を強いられている今だからこそ、じっくり学問に取り組んでいきたいと思っている年です。だからこそ、首振り牛乗り天神は私の願いでもあります。昨年から柳宗悦先生の全貌を知るために柳宗悦全集を読みはじめています。今年もじっくり腰を据えて柳宗悦先生の全集を丁寧に読んでいこうと思っています。郷土玩具様、見守ってくださいませ。
2021年1月16日
参考資料
斎藤良輔『郷土玩具辞典』(東京堂出版)
畑野栄三『全国郷土玩具ガイド②』(婦女会出版社)
『一日暮らし』(第二回)
「塵を払え」
正受老人(道鏡恵端禅師)の言葉である「一日暮らし」から、「今日目の前にあること」を懸命に生きることの大切さについて説明させていただきました。グループホームの生活は「ありふれた日常」の積み重ねであり、だからこそ、「今日目の前にあること」の中から、キラリと光る小さな出来事を素通りしがちです。「一日暮らし」という言葉は、それゆえ、「一日一日をしっかりと務めることの大切さ」を教えてくださいます。
たとえば、グルーホーム空間の掃除です。掃除は日々の業務で欠かせない大切なことの一つです。掃除という行いを「面倒臭い」と思ってやっていないだろうか、「昨日、きれいにトイレ掃除をしたので、今日はいいか」等、後回しにしていないか、日々、自問することがあります。「毎日、きれいなトイレで入居者の方々にトイレを使っていただきたい」という気持ちを忘れずに日々取り組んでいるだろうか。「一日暮らし」のあり方は、私にそう問いかけてきます。そのことについて深く考えていくために、別の話を以下にしたいと思います。
NHK「こころの時代 宗教・人生」という番組を興味深く観させていただいているのですが、「禅の知恵に学ぶ」というタイトルの放送は、グループホームの日々の業務のあり方に問い直しをしたい気持ちにさせられました。
臨済宗「正眼寺」の師家である山川宗玄さんのインタビューで進められるその番組の中で、ブッタの弟子の「周利槃特(しゅりはんどく)」という人の有名なエピソードが出てきます。山川宗玄さんの言葉を整理すると以下の通りです。
周利槃特は二人兄弟で、兄と一緒に敬愛するブッタの弟子になりました。兄はブッタの説法を覚えられ、すぐに他の人に説法ができるようになりますが、周利槃特はいくら説法を聞いても覚えることができません。基本的な仏教用語を100回聞いても覚えられません。いや、周利槃特は自分の名前すら覚えられない人でした。心から尊敬するブッタの説法を繰り返し聞いても覚えられず、悲しく涙を流されました。困っている人に手を差し伸べるブッタは周利槃特の悩みを聴き、「明日から私の法座に来なくてよろしい」と伝え、「今日より、この庭を毎日掃除することがお前の仕事だ。その際、ある言葉を唱えながら掃除をしなさい」と命じたのです。
周利槃特は喜びましたが、ブッタの言われた「掃除をすることは、我が心を清めることである」という言葉を覚えられないのです。ブッタはもう少し短く、「掃除をすることは清めることである」と教えましたが、それも覚えられないため、言葉をどんどん短くして、結局、「塵(ちり)を払え」という言葉になりました。周利槃特は何度も何度も繰り返して、ようやく「塵を払え」と言えることができたのです。それ以降、毎日、朝から晩まで「塵を払え、塵を払え」という言葉に合わせて箒を動かして、広い庭の端から端まで掃除をするようになりました。周利槃特は一日中掃除をしているのでいつも庭はきれいです。「こんなことをして何になるんだ」とか「たまにはサボってもいいんじゃないか」とか等と考えることもありません。敬愛するブッタが「これがお前の仕事だ」と言われたので、ひたすらやり続けます。この仕事こそ、周利槃特の修行になったのです。
何年もずっと愚直に「塵を払え」といっていたら、ある時、「塵って、何だろう?」という疑問が浮かんできたのです。周利槃特は「なんだ、塵など何もないじゃないか」と気づいたのです。その瞬間、周利槃特は悟りの真っただ中です。つまり、塵一つないほど徹底して掃き清めることで、周利槃特は自分の心の塵まで掃き清めてしまった、という話です。
山川宗玄さんは、「周利槃特は『塵を払え』という言葉と一つになって、「究極の三昧に至った」、つまり、悟りに至ったと言っています。
長々と説明してきましたが、周利槃特の「塵を払え」という話は、グループホームの業務、とりわけ、掃除という行いをする時、多くの示唆を与えてくれました。この話は以前にも聞いたことがありましたが、自分の仕事と重ね合わせて考えることがなかったので、今回は非常に胸を打ちました。
私はここで、何もグループホームの仕事で「悟りに至りたい」ということを言いたいのではなく、我を忘れるくらい無心に「目の前のこと」を懸命に取り組んできたのだろうかと自問自答する必要があるのではないかと思うのです。夜中に何度も何度もトイレ掃除をしなければいけない状況が続くこともありますが、そうした時こそ、「塵を払え」の心を忘れずに、「一日暮らし」の気持ちで業務に当たっていきたいと思います。
2021年1月7日
『一日暮らし』 第一回
「今日只今の心」
新年あけましておめでとうございます。
昨年は新型コロナウイルスの影響で、グループホームでは今まで経験したことのなかった環境に追いやられました。食事での入居者同士の交流ばかりでなく、入居者と理事・会員の方々とのイベント交流も制限されるようになり、楽しみにされていた忘年会、新年会等も中止となりました。
あるいは、手話サークル、ヨガ活動、カラオケ等、「三密」を避けるため、当面は自粛することとなり、楽しみにされていた余暇活動ができず、寂しい思いで日々過ごされている入居者の方々もいます。
しかし、一人ひとりの行動が職場や入居者・職員、そして家族等に迷惑がかかってしまうかもしれないということで、グループホームの入居者の方々は主体的に感染対策をして、日々、静かに過ごされています。そうした入居者の方々の姿勢には非常に頭が下がりますし、安心・安全な暮らしを守ってくださっている入居者の方々に心より感謝申し上げたいです。
新型コロナウイルスは今年に入っても終息するどころが、感染拡大の勢いが止まらず、日々の暮らしの見通しを立てることが難しい状況です。要するに、「未来図」が描けないのです。空しくもあり、もどかしくもあります。
いや、そうした状況だからこそ、私の心の中にある人の言葉が浮かんでくるのです。
「一大事と申すは、今日只今の心也。」(正受老人)
正受老人(道鏡恵端禅師)は、江戸時代に活躍された白隠禅師の師で、「一日暮らし」という言葉を残しています。「一大事と申すは、今日只今の心也。」とは、「人生の中で一番大切なことは、今日ただいまの自分の心なのだ」ということです。「ああしておけばよかった」と過去を後悔したり、明日の、1ヶ月後の、1年後の暮らしがどうなっているかを考えたりするのでもなく、「今日目の前にあること」を懸命に生きることなのです。「一日一日」の積み重ねが、結局、未来につながっていくことなのだ、と。正受老人の「一日暮らし」という考え方は、明日がどうなっていくかさえもわからぬ「今」だからこそ、大切な言葉なのではないかと思います。
グループホームの生活も「一日暮らし」という考え方で、日々の暮らしを見つめていきたい。今日目の前にある一人ひとりの心を拾い上げ、見つめながら、「一日暮らし」を大切にしていきたい。そんな思いから、「一日暮らし」というエッセイをはじめていきたいと思っています。
今年もよろしくお願い致します。
2021年1月5日
※参考資料
公益財団法人仏教伝道協会ホームページ「禅僧のことば」
臨済宗・妙心寺派 大澤山 龍雲寺ブログ